大人は子どもを良い方へと導こうとする。けれど、子どもは意外と賢くて、大人が思っているよりもずっと、いろんなことをわかっている。
私がそう思うようになったのは、小学校の教師になってしばらく経ってからのことだった。
就いてばかりの頃の私はやる気に満ちていた。ようやく夢だった教師になったのだ。
ただ、今にして思えば、やる気に溢れすぎていたのかもしれない。私の熱意は、どう贔屓目に見ても空回っていた。
私が教師になろうとしたきっかけは、好きでよく見ていた学園ドラマだった。『三年B組金八先生』や『GTO』は当時の私のバイブルだった。
真正面から生徒とぶつかり合い、そして互いに認め合って生徒を人間的に成長させていくその姿に、教師のあるべき姿を見た気がしたのだ。
担任を持ったことは、その理想の一歩だと思っていた。教室で自己紹介をする私を見つめる子どもたちを見て、彼らの将来は私が握っているのだと使命感に震えていた。
まったく、勘違いも甚だしい。今にして思えば、なんと自分勝手なのだろう。私は生徒たちを、自分の理想を叶えるための演出道具としか見ていなかったということになるのだから。
教師もまた、人間だ。完璧ではない。教師になるのは、立派な大人ばかりでないのだ。
子どもの手を引いて正しい大人になれるよう導くのが、大人の仕事だ。そう思っていた。
けれど、私たち大人は、果たして正しい大人なのだろうか。自分が通ってきた道が、どうして正解だと思えるのだろう。手を引いたその道は、子どもたちにとって正しいのか。彼らはそれを望んでいるのか。
そもそも、いろいろな失敗を繰り返した今、思うのは、子どもたちは大人が思っている以上にいろいろなことを考えていて、知っているのだという事実だった。
しかし、無駄な使命感に燃えていた私では、その事実に気が付くことはできなかっただろう。子どもは何も知らないのだから、という先入観があったからだ。
そうではないのだ、ということを私が知ったのは、伊坂幸太郎先生の『逆ソクラテス』という作品を読んでからだった。
それは短編集である。どれも小学生を主人公にしたものだ。作中の彼らは、大人をドライに見つめ、自分たちで解決策を必死に考え、そして自分の大切なもののために行動する。
かつての私ならば、それはただのフィクションだと捉えただろう。しかし、多くの失敗をし、挫折して心が折られていた私には、そこに描かれる子供たちが必ずしもフィクションではないことがわかった。
熱血教師は幻想に過ぎない。昔は体罰を受けて教えてもらった、と懐かしがる大人たちは、その幻想を今でも憧れの視線で見ている。
しかし、体罰は良くないことだ。時代はようやくその事実に気が付いた。にもかかわらず、体罰信仰が消えないのは、そんな大人たちが体罰以外で教える方法を知らないからだ。
子どもは賢い。ともすれば、多くの経験を積んだ私たちよりも、ずっと。当然だ、今の子どもたちは自分で調べることで学ぶことができるのだから。
それを、大人は認めたくない。だから、子どもを支配しようとする。知識はあってもまだ成長過程にいる子どもたちは、そんな大人によって歪められていく。
殴られたり、怒鳴られたりしなくても、諭せば子どもはちゃんと理解するのだ。やってはいけないことを、彼らはきちんとわかっている。それを破ったならば、そこには彼らなりの理屈があるのだ。
大人は子どもを導く存在であってはならない。無能な大人たちに手を引かれた子どもたちは、自分の夢も、才能も犠牲にして、無能な大人と同じ道を行ってしまう。
違うのだ。大人は自分の夢に向かってひたむきに進んでいく子どもたちの背中を、そっと押してあげるような存在でなければならないのだ。
未来を創るのは私たちじゃない。子どもたちなのだ。私たち大人が勝手に彼らの未来を捻じ曲げるべきじゃない。私はそのことに、ようやく気が付いた。
なんでも知っていると思い込んでいる逆ソクラテスたち
中学、高校出の思い出は、思春期特有の恥ずかしい出来事が多いからか、実体を伴っている。が、小学生の頃のこととなると、ぼんやりとしたものだ。
小学生六年生のあの数か月のことも、大事な記憶であるにもかかわらず、思い出そうとすれば、どこか他人の冒険譚を読むような気持になった。
ぱっと浮かぶのは、授業中の机に向かう自分、算数のテストの時だ。
机に座り、答案用紙を前に高まる鼓動を押さえるのに必死な、僕がいる。クラスの中で目立つ存在でもなければ、疎まれる存在でもない、そういう子どもだった。
担任の久留米は最後の二問にいつも難問を用意するが、それ以外のものであれば、僕の頭でも解けた。あとは久留米が「はい、そこまで」と言うのを待つだけだった。
いつもなら、だ。その時は違った。
僕の左手の中には、丸めた紙切れが握られていた。右側の席にいる、安斎が寄越してきたものだ。紙切れの中には、一問ごとにカンマ区切りで、テストの答えが記してある。安斎は僕に指示を出していた。
「俺が加賀に渡すから、加賀は隣の草壁に。その紙切れを渡すんだ」
落ち着け、と心で唱えるたびに、その言葉に反発するかのように心臓が大きく弾んだ。久留米に見つかったらどうなるのか。
佐久間が挙手した。クラスで最も背の高い女子で、いわゆる学校でもっとも注目を浴びるタイプの同級生だった。
「先生、このプリント、読みにくいです」
どこだ、と久留米が彼女の机に近づいていく。予定通りだ。覚悟を決めた。あの佐久間が、リスクを顧みず、「カンニング作戦」に協力しようというのだ。僕がやらなくてどうする。
久留米が佐久間の横に行き、長身をかがめ、プリントを見つめたところで、僕は左手をそっと伸ばし、草壁の机の上に紙切れを置いた。
使命を果たした安堵に包まれながらも、心臓の動きはさらに強くなり、それを隠すために答案用紙にぐっと顔を近づけた。
メモを受け取った後、左側の草壁がどのような行動をとったのか、僕は覚えていない。ただとにかく、カンニングを実行した罪の意識と、行動を起こした高揚感で、ひたすら、どきどきしていた。
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