伊坂幸太郎流異世界バトル『クジラアタマの王様』伊坂幸太郎


「コロナ感染者の増加に伴って、政府は緊急事態宣言を発令しました」

 

そのニュースを見て、ふと、思い出したのは、最近読んだばかりの小説だった。タイトルはなんだったか、ああ、そうだ、『クジラアタマの王様』とかいうタイトルの。伊坂幸太郎先生の作品だったはずだ。

 

「クジラアタマの王様」とは、動かない鳥として有名になった「ハシビロコウ」のことである。昨今流行の感染症とは、何の関係もない。

 

ならどうして、コロナのニュースを見て思い出したのかというと、作中でウイルスの話が出ているからだ。コロナじゃなくて、鳥インフルエンザだったけれど。

 

変な小説だったように思う。製菓メーカーの広報部に所属している岸くんの視点で物語は進むのだけれど、ところどころ、不思議なマンガが挿しこまれているのだ。

 

それは戦士らしき人が巨大な生物と戦っていたり、ハシビロコウに指示されていたりしている、というもの。どうやらそれは、彼が見ている夢らしい。

 

それも、岸くんだけじゃない。小沢ヒジリというタレントと、都議会議員の池野内征爾。彼らもまた、岸くんと同じ夢を見て、物語に関わってくる。夢がまったく無関係の彼らをつなげるのだ。

 

まるで異世界バトルもののような夢と、現実。夢で負ければ、現実でも苦難に陥る。夢と現実は深いところで密接につながっている。

 

「十代の若者の間では、コロナワクチンの接種率が低い傾向にあります」

 

パンデミックの危険性。ウイルスが広まることによる差別。パンデミックを望む利己主義によるウイルス対策の妨害。そして、ウイルスに立ち向かうための、ただひとつの希望。

 

コロナウイルスが騒がれるよりも前に書かれているにもかかわらず、その小説のストーリーは驚くほど今の状況と似通っている。

 

岸くんは、矢を手に持って、巨大な脅威と対峙した。同じだ。今、私たちは、見るも巨大な怪物の目の前にいるのだ。私たちはきっと、今、敗北しているのだろう。

 

作中では、「クジラアタマの王様」だった。では、今まさに私たちが暮らす現実では? 誰が敵で、誰が戦士として戦っているのだろうか。

 

私は最初、コロナワクチンを打つつもりがなかったけれど、この物語を読んで、少しばかり迷いを抱くようになった。

 

コロナワクチンについての悪い噂はしばしば耳にする。信用していいものかという迷いもある。ワクチンを打てと言い募ってくる父への反骨精神もあるし、知り合いから聞いた不穏な噂も頭の中に残っている。

 

でも、感染症が大きな脅威であることは、間違いのないことだ。ワクチンを打つことが、怪物に立ち向かうことになるとするのなら。

 

打つべきか、打たないべきか。その選択は本人たちに委ねられている。誰にも強制されるようなものじゃない。だからこそ、後悔しないような選択をしたいものだ。

 

 

夢での戦いと現実での戦い

 

テレビに映る鳥に視線が引き寄せられた。漫画から現れたかのような、頭でっかちの外見で、嘴がやけに大きい。横を向き、じっとしている。

 

リポーターらしき女性が、「ハシビロコウはほとんど動きません」と話している。「英語名は、shoebillで、靴のような嘴という意味です」

 

「笑ってるみたいだ」画面に映るハシビロコウの大きな嘴は、横から見ると口角が上がっているようで、常に、うっすらと笑みを浮かべ余裕の表情、といった趣すらあった。「大物の感じが」裏のボスのような。

 

「今度、新商品で出してみたら?」妻がテレビを指差した。

 

「ハシビロコウを食べるなんて可哀想、と怒る人がいそうで怖い」

 

「広報部って、苦情受付も担当しているんだっけ」

 

「お客様サポートは宣伝広報局の中にあるし、僕も去年まではそこの一員として、貴重なご意見を受けて、日々、勉強させてもらいましたから」

 

ニュースや話題になるのは、物事の実際の重要性や危険性よりも、多くの人たちの感情が優先される。情報操作や誘導にかかわらず多くの人は、感情に正直なだけなのだ。

 

テレビに映るハシビロコウの横顔に、あれ、と感じたのは、その映像が変わる直前だ。「あ」と声に出していたらしい。

 

「どうかした?」妻が訊いてくる。

 

「いや、この鳥を知っている気がして。どこかで会ったような。いつも会社の受付で挨拶をしている人と、まったく別の場所で、ふいに会ったような感じ」

 

目を細めて、テレビ画面を見つめる。動物園の映像ではなくなっており、それを踏まえてスタジオで芸能人たちが話をはじめていた。

 

「この人気ダンスグループのヒジリ君って、うちの新商品のコマーシャルに出てもらいたかったらしいんだけど、駄目だったんだって」

 

テレビに小沢ヒジリの顔が大きく映し出された。柔らかそうな髪に、二重瞼でくっきりとした目、鼻筋は通り、顎も細く、男の僕から見ても魅力的だ。

 

「本人は、お菓子好きで、うちのもよく食べてるって話なんだよね」

 

「それだったら、テレビで言ってくれればいいのに。宣伝になるようなことを」

 

「そんな無茶な」

 

無茶なことが起きたのは、その直後だった。小沢ヒジリが、「お菓子食べてますよ。マシュマロで包まれた、あれ」と言ったのだ。

 

妻がテレビを指差しながら硬直し、「これって」と言った。僕はうなずきながらも、自分の顔が引き攣っているのがわかる。「弊社の新商品」

 

 

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