さて、お話を、語るとしましょう。それは、あるひとりのストーリーテラーの物語。彼が、一冊の本と出会ったお話です。
あるところに、ひとりの男がおりました。彼は小さな村にひとりきりで住んでいて、みんなからまるでいないもののように扱われていました。
なぜなら、彼はとても無口だったからです。彼の声を聞いた者は、今ではもう、ひとりだけでした。村の人たちは誰も、彼の声を知りませんでした。それほどまでに、喋らなかったのです。
とはいえ、彼が話すことができなかったかと言われると、そうじゃない。彼は、ただ、話すのが恥ずかしかったのです。自分が口下手であることを恥じて、彼は話すことが苦手になってしまったのでした。
ある時、彼は、届け物の用事で、村のはずれに住んでいる老人に会いに行きました。この老人は男の両親の友人だった人で、幼い頃から彼のことを知っています。彼の声を知っているのは、今はこの老人だけでした。
「お前は相変わらず村の誰とも話していないんじゃな」
「恥ずかしくて……俺は口下手だし、話も下手だし……」
彼がどうして、話すのが苦手になったのか。それは、彼が昔、子どもたちに紙芝居を聞かせてあげた時のことがきっかけでした。
「つまんない」
子どもたちはひとり、またひとりといなくなり、やがて誰もいなくなりました。誰もいない中で、彼はひとり、紙芝居を最後まで続けるしかなかったのです。それ以来、彼は話すことができなくなってしまったのでした。
悲しんで涙を零す彼に、老人は、一冊の本を差し出しました。マーガレット・リード・マクドナルドという人の本で、『ストーリーテリング入門』と書かれています。
「この本を読みなさい」
「この本は……?」
「これはな、お前のお母さんが読んでいた本じゃ。彼女も口下手で、話すのが苦手だったがの、これを読んで、勉強して、上手くなったのじゃ」
お前の母親はな、と、老人は続けました。
「それはもう、一流のストーリーテラーじゃった。時にアレンジし、身振りを加えて、子どもたちの心をわしづかみにした。ここらの子は、お前の母親のことをみな知っておる」
彼女は努力した。この本を読んで、ストーリーテリングをマスターしようとな。そして、いつしか、彼女は誰よりもストーリーテリングが上手くなった。お話を語らせれば、彼女の右に並ぶ者はおらんよ。
話を聞きながら、男の思い出は少年時代の頃に戻っていました。まだ母親がいた頃。布団に入った男のために、母親がゆったりと優しく、お話を読んでくれていた頃の思い出が。
彼は、母親の読んでくれるお話が大好きでした。知らず、男の目から一筋の涙が零れます。老人は彼の頭をぽんと撫でました。
「お前の母親が引退した時は、誰もが惜しんだ。だが、彼女が意志を変えることはなかったのじゃ。どうしてか」
どうして?
「彼女はな、お前だけのストーリーテラーになろうと決めたのじゃ。子どもたちに、ではなく、お前のためにお話を紡ごうとな」
お前は彼女の愛情を、物語として一身に受けて育ったのじゃ。男は、今はもういない母親の姿を思い出して、涙が止まらなくなっていました。
涙を拭いて、顔をあげた男の顔は、もう、さっきまで悩んでいた情けない顔ではなくなっていました。精悍な、何か決意に満ちた顔です。
「おじいさん、その本、俺に貸してください」
「もとよりそのつもりじゃ。この本は、彼女の形見。お前が持っているのがよかろう」
老人から本を受けとりながら、彼は思いました。俺は一流のストーリーテラーになる。そして、母さんが聞かせてくれた優しい物語を、世界中に満たしてやるんだ、と。
お話を語る技術
現在、たくさんのストーリーテラーが世界各国を語り歩いています。プロの語り手ですから、語りの技術に長けていますし、洗練されてもいます。けれど、もっと必要とされているのは、家庭や地域で語ってくれる語り手です。
私はこの本を、ストーリーテリングを始めたばかりの人に向けて書きました。お話の習得方法と演じ方、お話イベントの企画、ストーリーテリングの題材を選ぶ基準を述べ、また、語り手としてのアートを発揮できそうな場をたくさん例示しています。
将来の語り手であるあなたに、私がいちばん伝えたいこと、それは、お話を語ることは贈り物であるということ、わかり合うことのできる格別な喜びであるということなのです。
私がこの本で紹介したのは、ストレスを感じずにお話を習得してもらう方法です。本書の中で、お話を聞くことがなぜ大切かということをくり返し述べています。
語りのスタイルは語り手の数だけあります。聴いたり、読んだり、体験したりしながら、自分や、聞き手に合った題材を見つけてみましょう。
ストーリーテリングは、それを望む人々に多くのものを提供してくれます。お話が教えてくれることもあるし、心に栄養を与え、励ましてくれることもあるのです。
私という語り手にとって、お話は喜びであり、遊びでもあります。聞き手とその喜びをわかり合えるチャンスなのです。
ストーリーテリングは誰にでもできることです。生涯学び続けることができ、毎回、新しい発見をもたらしてくれる、あたたかく、家庭的なアートがここにはあります。
今日、小さなお話を聞いたら……明日はそれを、誰かに語ってあげましょう!
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