私はふと気づいてしまった。ここが乙女ゲームの世界だということを。そして、私がその悪役だということを。
私は攻略対象の中でも一番人気だったキャラクターの婚約者という立ち位置である。しかし二人の仲は冷めきっている。家同士のつながりでの婚約関係だ。
そして、入学式の日の出会いを境に仲良くなっていくヒロインに嫉妬し、私は彼女に苛烈ないじめを仕掛けるのだ。
クライマックス、私はすべての悪事を暴かれ、罪を問われて学園を去る。それがストーリーでの私の最大の見せ場だ。
その後のことは本編では語られていなかったけれど、設定資料に彼女のその後の顛末が書かれていたはずだ。
たしか、ストーリー後の私は実家から切り捨てられて辺境の修道院に送られ、厳しく監視されつつ生涯を終える。
そして、私の悪事のせいで今まで強い権力を握っていた私の実家も急速に力を失い、没落していくという感じだったと思う。
つまり、このままいくと私は一生を修道院で暮らす未来が待っているわけだ。恋愛も贅沢も、何もできない、寂しい生涯を送ることになる。
さて、ここで問題なのは、私はどうするべきか、ということだ。
前世では結構なオタクだった私は、ネットに放たれていたいくつかの小説を読み漁っていた時期があった。
その中にはいわゆる乙女ゲーム転生モノという作品群がある。テンプレという奴だけれど。
つまり、乙女ゲームに転生した主人公が前世の知識、つまり未来に何が起こるかを知っている、ということを活かしていろいろするという話だ。
悪役に転生するというのもよく読んだ設定だった。その多くは、未来に待っている悲惨な末路を知識を生かして回避していくというものである。
そして、私がここを乙女ゲームの世界だと気づいたのは、ストーリー本編が始まる前、入学式の日の朝だった。
つまり、私はこれから起こる未来を利用して、ストーリーをどういうふうにも捻じ曲げることができるというわけだ。
攻略対象に愛されるヒロインの立場を奪うこともできるだろうし、悪役である私の未来を阻止することもきっとできるだろう。
だから、私はこれから自分が目指していくエンドをひとつに定めた。
ずばり、ストーリーには逆らわない、というルートだ。ヒロインよ、喜んでくれ。私が君をいじめてあげよう。
そして、ビバ没落生活だ。修道院には私の部屋を空けておいてもらうことにしなければ。
攻略本はすでに頭の中にあるのだ。これほど簡単な攻略はない。もっとも簡単なルートを、忠実になぞるだけでいいのだから。
没落を目指した理由
どうしてあんなことをしたのか、とは、当時を知る誰もが私に向かって言っていた言葉である。
ゲーム通りに答えていたけれど、彼らは納得したとは言いがたい表情をしていた。それも仕方ないだろう。
そもそも、ゲームの私は激情家で、身分至上主義の一面があった。つまり、ヒロインをいじめる理由が嫉妬以外にもあったのだ。
しかし、私はむしろ怠惰な性格で、身分だなんだとこだわることなんてしない。そんなことにエネルギーを使うくらいなら寝て過ごす方がよほどいい。
そんな私が突然、いじめに精を出し始めたのだから、違和感を感じるのも当然だろう。
私が没落を目指した理由として、ストーリーに逆らうのが面倒だったから、というわけではない。もちろん、もっとちゃんとした理由がある。
私の婚約者は高い身分のちゃんとした男である。そんな彼の隣りに立つのが私だという躊躇は、いつだってあった。
ヒロインが彼とうまくいくことを、私は知っている。つまり、婚約者の立ち位置を譲るのに、彼女は最適だったのだ。
修道院に行くのも、私の怠惰な性格を矯正するにはあえて良いのではないだろうか。恋人も友人も、人付き合いが苦手な私はいらないし、贅沢はむしろ心苦しいくらいだ。
実家も私の没落に巻き込まれる形になるけれど、そもそも私の実家が大きいのは裏でいろいろとあくどいことに手を出しているからだ。
だから、むしろ権力を落とすことは国のためには良いのだろう。このストーリーの結末は、ある意味、私にとっては利のあることばかりだった。だから、利用させてもらおう。
そう思っていたのだが、私はひとつ、大きな失敗をしていた。
さき先生の『アルバート家の令嬢は没落をご所望です』は、前世で私が好きだった本だ。今にして、その内容を思い出す。
いくら、名前も、世界も同じでも、それはほんの少しの変化で変わってしまう。バタフライエフェクトなんてあるけれど。
キャラクターの性格が違う、なんてのは、ほんの少しどころじゃない。大きな変化だろう。
私の性格はゲームの私とは大きく違っている。その影響がストーリーに全くないわけがないのだ。私のいじめを、誰もが疑問に思っていたように。
つまり、私が知っている未来とは、結末が変わるに決まっているのである。そのことを、私は思い至ることができなかった。
だから、こんなことになっているのだろう。私は遠い眼をしてため息を吐いた。私の隣りに立っている人が、私の顔を覗き込む。
「どうかしたのかい、俺のかわいい奥さん」
「ううん、なんでもない」
決まっている未来なんてありえない。だから、ここはもう、ゲームの世界じゃない。私たちが生きる、私たちの世界だ。
目指すは没落! 破天荒なラブコメディ
ふと、メアリ・アルバートは全てを思い出した。この世界が前世でプレイした乙女ゲームだということを、それはもう突然、知識がなだれ込むように思い出したのだ。
ゲームの内容はいたってシンプル。貴族が通う聖カレリア学園に転校してきた主人公アリシアが、学園生活を送りながら魅力的な異性たちと恋に落ちる……という王道ものだ。
ちなみに、メアリ・アルバートはそのゲームに出てくる悪役キャラクターである。我儘かつ高慢な性格をしており、ことあるこごtにアリシアに嫌がらせをする。
このままいけば没落まっしぐら。となれば自分が進む道はただひとつ、悪役令嬢としての人生の先に待ち構えているのがしっぺ返しと没落だというのなら。
「いっそのこと前向きに没落しようと思うの!」
迷いのないまっすぐな瞳で宣言するメアリに、ため息を吐いたのは従者のアディ。
そんなアディとメアリは、誰もいない食堂の一角を陣取り顔を突き合わせていた。話題はもちろん、つい数時間前に蘇ったメアリの前世の記憶である。
仮に信じたとしてもアディにはもうひとつ聞くべきことがあった。メアリの言う通りこの世界が『乙女ゲーム』なるものだったとしても。
「もしもお嬢の言うとおりだったとして、どうして悪役令嬢なんてやるんですか」
「そりゃ、そういうもんだからよ」
はぁ、とため息を吐きつつ、アディが立ち上がる。メアリも続くように腰を上げ、決意を改めるように力強く拳を握り締めた。
「いざ、没落コース! ラストにギャフンと言うのはこの私よ!」
「なんでそこまで全力で後ろ向きに走るんだか……まぁ良いですよ、付き合いますよ」
頑張るわ! と意気込むメアリに、呆れたアディがそれでも応えるべく片手を上げた。
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