歴史と遊び心に満ちた甘いミステリ『和菓子のアン』坂木司


 私は甘いものが好きである。ケーキやクッキーといった洋菓子も悪くはないが、風情のある和菓子もまた、好ましい。

 

 

 私は桃色の饅頭を手に取った。指を跳ね返す柔らかい弾力は少しでも力を入れてしまうとあっさり潰れてしまいそうで、まるで赤子を抱いているような気持になる。

 

 

 皮は指に吸い付くような感触があり、持ち上げた時には指先に薄い皮が貼りついてくる。破けた饅頭の穴からは仄かな甘みが漂ってきた。

 

 

 こらえきれずに大きく口を開けてかぶりつくと、ふかふかとした柔らかい食感の奥に、とろけるような餡の甘みが広がった。

 

 

 粒餡だ。舌を包み込むような餡の中に形の残った小豆の食感が私を楽しませてくれる。さながら甘味の宝箱のようだ。

 

 

 こういう和菓子を食べていると、思い出すのは坂木司先生の『和菓子のアン』という作品であった。

 

 

 デパ地下に展開する和菓子店「みつ屋」を訪れる客たちの謎めいた言動。そこから導き出せる彼らの事情を、解き明かしていくほのぼのとしたミステリである。

 

 

 主人公の杏子を筆頭としてキャラクターに人間味があり、それぞれに魅力がある。かわいらしく面白い彼らは魅力にあふれている。

 

 

 しかし、なんといってもやはり和菓子であろう。

 

 

 グルメ小説のような味の描写がつらつらと並ぶわけではなく、そこに描かれるのは和菓子ひとつひとつの背景にある物語だ。

 

 

 そして、それは店を訪れる人間の背景にも関わってくる。その和菓子と人間の交錯がミステリとしての面白みを味合わせてくれるのだ。

 

 

 私が今食べている紅白饅頭には、どんなストーリーがあるのだろうか。私は食欲とともに興味もそそられる。

 

 

 紅白饅頭はどうしてめでたいときに食べられるのか。そもそも、どうして紅白がめでたいとされているのか。饅頭という言葉にはどんな意味があるのか。

 

 

 和菓子はただおいしく食べられるだけの食べ物ではない。甘い味の奥底にはその菓子を生み出された理由がある。

 

 

 それを知ると、甘みの中に濃厚な歴史の重厚感と作った人の想いが混じり合い、菓子がまるで宝玉にでも見えてくるかのようになるのだ。

 

 

 私は和菓子が好きである。甘みだけではない、和菓子のストーリーが読みたいからこそ、私は和菓子が好きなのだ。

 

 

甘い餡の香り

 

 私は白い饅頭を手に取った。桃色の饅頭のそれよりもさらに柔らかく、皮がぴったりと張り付いてくる。

 

 

 かぶりつくと、とろっとした粘性を帯びたこし餡が喉に流れ込んでくる。あまりの甘みの本流に、私は思わず頬を押さえた。

 

 

 生地は粒餡の饅頭のそれよりも薄いようだ。しかし、だからこそ口いっぱいで餡の甘みが堪能できる。

 

 

 私はかすかな懐かしさを覚えながら、その濃厚な味わいに酔いしれていた。

 

 

 かつて、私は和菓子工場で働いていた。職場の人間関係はあまりよくなかったが、仕事そのものは嫌いではなかった。

 

 

 餡と生地を機械に入れると、駆動音が鳴ったかと思えば、コンベアに乗せられて次々と饅頭が出てくる。

 

 

 丸まっただけの饅頭はころころとしていて、小さくて、まるで生まれたての赤ん坊のようにかわいらしい。

 

 

 これが蒸すと、あんなふうに立派にふっくらと膨らんだ饅頭になるのだから侮れないものである。

 

 

 和菓子工場での仕事は大して好きではなかったが、和菓子そのものの出来上がっていく過程を見るのは楽しかった。

 

 

 今ではもう、甘い香りの漂う苦い思い出でしかない。

 

 

和菓子から読み解くほのぼのミステリ

 

 三月は卒業の名残を抱えたまま、なんとなく過ぎた。四月は就職情報を検討してあっという間に過ぎていった。そして五月。気ばかり焦っている。

 

 

 手に職がないなら販売系だけど、私の小太りな体型で服飾は無理。お洒落な雑貨もダメ。消去法はよくないと思いつつも、私にできることなんで何にもないような気がしてくる。

 

 

 気持ちが落ち込んできたところに、雨まで降ってきた。私はとりあえず一番近くにあるデパートの中に駆け込む。

 

 

 自動ドアをくぐった瞬間、ふわりと香水の匂い。デパートの一階は、化粧品と婦人靴やバッグ売り場だ。

 

 

 私は一階を横切ってなんとなくエスカレーターに乗って地下へと向かう。一歩踏み出すと、いろいろな食べ物の匂いがごっちゃになって押し寄せてくる。

 

 

 一階の気取った雰囲気なんてどこへやら。ざわざわとしたデパ地下の喧騒は、ちょっとだけ近所の商店街に似てて居心地がいい。

 

 

 すると目に入ってきたのは、求人の張り紙。注意してみると、ショーケースの端や背後の壁にもちょこちょことと貼ってある。

 

 

 何の特技もない私が唯一得意と言えるのは、食べること。それに私のこの体型は、食べ物を売る立場になった時、プラスに働くんじゃないだろうか。

 

 

 もし働くならどのお店がいいかな。私は職場の下見を兼ねて、募集の出ているお店を覗き込んだ。

 

 

 悩みながら歩いていると、最後に和菓子コーナーで二つ募集を見つけた。

 

 

 両方とも基本的な品ぞろえが整っている和菓子屋で、贈答系の日持ちがするものから生菓子まである。制服は片方が作務衣みたいな上下で、片方が白いシャツに黒エプロンという現代風。

 

 

 なんとなくこの二つのどちらかに決めたい、と思った私はさらにお店を観察した。すると、作務衣のお店には男性が二人もいる。私は男性がちょっと苦手だ。

 

 

 というわけで、私はもはや悩むことなく黒エプロンのお店の方へ行き、店員さんに声をかけた。

 

 

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