プリンスの正体は?『ハリー・ポッターと謎のプリンス』J.K.ローリング


「君は『ハリー・ポッターと謎のプリンス』を読んだことがあるかな?」

 

 

 いえ、読んだことないです。私は答えると、彼はおやと意外そうな目を私に向けた。本好きの私が、話題作を読んでいないことを意外に思ったのだろう。

 

 

 『ハリー・ポッター』が流行した当時、私は一作目の『賢者の石』以降をとうとう見ることができなかった。

 

 

 というのも、敵であるヴォルデモート卿の顔が怖くてトラウマになってしまったからである。

 

 

 ほう、君にもそんなかわいらしい時期があったのか。からかうようにそう言う彼に、私は思わず赤面して顔を伏せた。

 

 

「とはいえ、そのヴォルデモート卿にも子どもの頃があったのだということを、どんな大人であってもかつては子どもであったことを認めることができる人はそう多くはない」

 

 

 私は首を傾げる。彼が何を言いたいのか、わからなかったからだ。そのことを察したのだろう、彼は私に微笑んで続けた。

 

 

「『謎のプリンス』はシリーズの六作目でね、いちおうネタバレに配慮して説明するよ」

 

 

 『謎のプリンス』でハリーは、彼が通う魔法学校の校長、ダンブルドア先生とともに記憶を巡っていくことになる。

 

 

 それは魔法界の政治機関である魔法省の人間であったり、屋敷しもべ妖精だったりするが、それらの記憶には共通点があるんだ。

 

 

「ヴォルデモート卿に関すること」

 

 

 ハリーはダンブルドアに連れられて、自分の宿敵であるヴォルデモート卿のルーツを巡る。彼を倒す手段を、見つけるために。

 

 

「どうかな?」

 

 

 これは、今の君にも生かせるんじゃないのかな。彼はこれこそが言いたかったんだ、と言わんばかりに私の目を見つめた。

 

 

「君は自分の父のことを憎んでいるね」

 

 

 私は頷く。当然だった。私がまだ幼い頃、父は母と私を捨てて、別の女とともに生きることを選んだのだから。

 

 

「だけど、逆に言えば、君は彼についてそれしか知らないわけだ」

 

 

 それだけ知っていれば十分です。私が唇を尖らせてそう言うと、彼は首を横に振る。

 

 

「人間の一部分だけを見て全てを知った気になるのは私たちの悪い癖だ。そうだろう」

 

 

 無知というのは怠慢だ。もちろん、それが一番楽ではあるけれど、楽なことが最良の道とは限らない。

 

 

「憎むなとは言わない。彼が君と君の母にしたことは決して許されることじゃないからね。けれど、その時に彼が何を考えて、何をしたのか、君はそれすらも知らないんだ」

 

 

 僕は君に知ってほしいんだ。僕の唯一の友人であった彼のことを。つい先日亡くなってしまった彼のことを。憎むのは、それからでも遅くないんじゃないかな。

 

 

 彼は手を差し出した。私は目を閉じる。正直、意味のあることとは思えなかった。彼の言う通り、私は決してあの男を許すつもりはないのだから。

 

 

 だけど。記憶の中の小さな私は出ていく父の背中に手を伸ばしていた。父を信じていたあの頃の自分の願いを、私は叶えたいと思った。

 

 

 私は目を開いて、彼の手を取る。彼はにやりと微笑んだ。この先にある真実は私を傷つけるだけかもしれない。けれど、私の胸はこんなにも高揚しているのだ。

 

 

父の想い

 

 私は目の前のセピア色の光景を呆然と眺めていた。これは父の記憶だ。足を組んだ女性に頭を下げている男が、幼い頃に見た私の父である。

 

 

「頼む。金を貸してくれ」

 

 

 当時、幼かった私は知る由もないけれど、私たちの家庭は借金に苦しんでいたらしい。

 

 

 父は性質の悪い借金取りに追われており、これ以上は家にまで押しかけかねないような状況だった。

 

 

 そして、父が助けを求めたのが傲然と座るこの女性だ。彼女は父の昔の知り合いで、母の恋敵だった。つまり、父は彼女を振って母を選んだのだ。彼女は赤い唇を開く。

 

 

「そりゃあ、昔から好きだったあなたを助けるのは構わないわ。でも、条件がある」

 

 

 彼女とあなたの子を捨てて、私のものになりなさい。そう言った彼女に、父は絶望の表情を浮かべた。

 

 

 彼女と別れて私と一緒になってくれたら、あなたの借金は私が立て替えてあげる。それに、彼女の借金もね。

 

 

 それと、あなたの名前で別れた後の彼女にお金を送ってもいいわ。だって、あなたと別れたら、彼女はひとりで子どもを育てなくてはならなくなるもの。

 

 

 ねぇ、と彼女が笑いかけると、父は凍り付いたように表情を硬くした。あなたの愛する彼女と子どもに、借金取りが何かしても、いいのかしら。

 

 

 だめ。頷いてはだめ。私は叫んだ。でも、私の声は彼らには届かなかった。彼らの思い出が遠く離れていく。私は手を伸ばした。それはまさにあの時と同じように。

 

 

 彼がハンカチを差し出していた。私はそのハンカチを受け取り、目元を拭う。気がつけば、涙がとめどなく流れていた。

 

 

 父は私たちを捨てたわけじゃなかった。私たちを守ったのだ。父は母を、そして私を愛していたけれど、私たちを守るために彼女の手を取った。

 

 

 彼女の言葉通り、父はその後、私たちに多額の生活費を送り続けた。おかげで私たちはお金に困らない生活を送れた。

 

 

 でも、それに何の意味があるのだろうか。母はいつも寂しそうな表情をしていた。最後のその時さえ、母の心の中には父がいたのだろう。

 

 

 母は言っていた。あの頃の私はお金があれば他には何もいらないと思っていた。でも、今は、お金なんていらないから、それよりももっと大事なものがあるって知ったの。

 

 

 母の言う大事なものは父だった。貧乏でも、父と、母と、私、家族みんなで一緒にいたかったのに。

 

 

 私は父が憎かった。頼んでもいないのに、私たちを守るために置いていったから。けれど、その恨み言すらも、私はもう、言うことはできないのだ。

 

 

ヴォルデモート卿のルーツ

 

 草ぼうぼうでゴミの散らかった土手の間を縫うように川が流れている。廃墟になった製糸工場の名残の巨大な煙突が、黒々と不吉にそそり立っていた。

 

 

 その時、ポンと軽い音がして、フードを被ったすらりとした姿が、忽然と川辺に現われた。フード姿はやがて軽やかに素早い足取りで、草むらに長いマントを滑らせながら歩きだした。

 

 

 二度目の、少し大きいポンという音とともに、またしてもフードを被った姿が現れた。二人目の女が追いついて、もうひとりの腕を掴んだが、一人目がそれを振りほどいた。

 

 

 ナルシッサと呼ばれた女は土手を登りきった。二人目の女、ベラもすぐに追いついた。二人は並んで通りの向こう側を見た。荒れ果てたレンガの家が何列も並んで建っていた。

 

 

 レンガ建ての家の間の人気のない迷路を、二人はさらに奥へと入り込んだ。ナルシッサは一番奥の家に辿り着く。

 

 

 ベラが小声で悪態をつきながら追いついた時には、ナルシッサはもう戸を叩いていた。しばらくして、わずかに戸が開き、隙間から二人を見ている男の姿が細長く見えた。

 

 

 ナルシッサがフードを脱いだ。男は一歩下がって、ナルシッサを招じ入れた。まだフードを被ったままの姉は、許しも請わずにあとに続いた。

 

 

 スネイプはナルシッサにソファを勧めた。ナルシッサはマントをはらりと脱いで座り込んだ。ベラトリックスはもっとゆっくりとフードを下ろした。

 

 

「セブルス、こんなふうにお訪ねしてすみません。でも、お目にかからなければなりませんでした。あなたしか私を助けられる方はいないと思って――」

 

 

 ナルシッサがグラスを受け取りながら、急きこんで言った。絶望がはっきりとその顔に書いてある。

 

 

「セブルス――ああ、セブルス――あなたがあの子を助けて下さる? あの子を見守って、危害が及ばないようにして下さる?」

 

 

 ナルシッサはソファを滑り降りて、スネイプの足もとに跪き、スネイプの手を両の手で掻き抱いて唇を押し当てた。

 

 

「あなたがあの子を護ってくださるのなら……セブルス、誓ってくださる? 『破れぬ誓い』を結んでくださる?」

 

 

 スネイプは頷くと、ナルシッサと向かい合って跪くように座った。ベラトリックスの驚愕の眼差しの下で、二人は右手を握り合った。

 

 

 ベラトリックスは前に進み出て、二人の頭上に立ち、結ばれた両手の上に杖の先を置いた。ナルシッサが言葉を発する。

 

 

「あなたは、闇の帝王の望みを叶えようとする私の息子、ドラコを見守ってくださいますか?」

 

 

「そうしよう」

 

 

「そしてあなたは、息子に危害が及ばぬよう、力の限り護ってくださいますか?」

 

 

「そうしよう」

 

 

「そして、もし必要になれば、ドラコが失敗しそうな場合は……闇の帝王がドラコに遂行を命じた行為を、あなたが実行してくださいますか?」

 

 

 一瞬の沈黙が流れた。ベラトリックスは目を見開き、握り合った二人の手に杖を置いて見つめていた。

 

 

「そうしよう」スネイプが言った。

 

 

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