自分がいっぱい『撫物語』西尾維新


 あーあ、もうひとり、私がいてくれたらいいのに。なんて、私はそう願った。願ってしまったのだった。

 

 

 私は頭を抱えていた。夏休みの最終日だというのに、宿題が一向に終わらないからだった。

 

 

 夏休み中に散々遊び惚けていたのが仇となった。まさか、こんなのび太君みたいなことをしてしまうなんて。

 

 

 山のように積み上がった宿題は減りそうにない。今から終わらせるなんて、自分がもう一人いない限り、絶対に無理だった。

 

 

「もうひとり、自分がいてくれたらいいのに」

 

 

 なんて、呟いたからだろうか。がらりと部屋のドアを開けて、自分自身が姿を現した時は、寝落ちでもしたかと思ったものだ。

 

 

「なに変な顔してるの。願ったのはあんたでしょ」

 

 

 もう一人の自分は私にそう言った。もうどうにでもなれ。どうせ夢の中なのだ。

 

 

「宿題、終わらせといて」

 

 

 私はそう言って布団にもぐりこんだ。もう、宿題はできなかったとして諦めよう。それよりも、こんな夢を見るのは私が疲れているからだ。

 

 

 そう結論付けて寝る準備をする私を、もうひとりの私が憎々しげに見ていたが、そんなことにも気づかなかった。完全に夢だと信じていたからである。

 

 

 だから、目が覚めた時、私は愕然とすることになった。昨日見たもうひとりの私がまだいるだけじゃなくて、なんと四人に増えていたからだ。

 

 

「私ひとりじゃ終わらせられないから私を呼んだのに、その私が寝たら意味ないじゃん。仕方がないからもう何人か私を呼ぶしかなかったよ」

 

 

 二人目の私から聞いたところによると、どうやらそういうことらしかった。疲れたような表情の私たちの傍らにはすっかり終わった宿題が置かれていた。

 

 

 あまりにも非現実的な光景を目にして、私は理屈で解決することを諦めた。きっとそういうこともあるのだろう。幸い、私は細かいことは気にしない大雑把な性格だった。

 

 

 私は解決を後回しにして、終わった宿題を手に学校へと向かった。帰宅しても私たちは消えることなく、そのままだった。

 

 

 それ以来、私は嫌な授業やテストがある時は別の私に行ってもらうことにした。嫌そうな顔をしながらも、私は言うことに従ってくれる。

 

 

 だって、ねえ、あるものは使わないと損でしょ。私がそう割り切って惰眠を貪っている中で、コピーの私たちが怪しげな笑みを浮かべていることには気づかなかった。

 

 

もうひとりの自分

 

 昔、藤子・F・不二雄先生の『パーマン』を読んだことがある。その作品ではコピーロボットという道具が登場する。

 

 

 それはパーマンとしての活動をしている間、本人の代わりをしてくれるというものだ。

 

 

 鼻のスイッチを押すと、押した人間そっくりの見た目に変わる。おでこをひっつければ記憶を引き継ぐこともできる。

 

 

 性格も本人そっくりで、鼻を押されさえしなければ、まずバレることはないだろう。そんな便利アイテムだけど、私は少し思うところがあった。

 

 

 もしも、このコピーロボットが本人に成り代わろうとしたら、どうなるだろうか、と。

 

 

 そんな古い記憶を思い出したのは、クラスで感じた微かな違和感が始まりだった。

 

 

 その違和感は日を追うごとに大きくなっていった。なんだろうと首を傾げていたけれど、ようやく気付いた。

 

 

 クラスメイトから向けられる私への目。それにはどこか憧憬のような、羨望のような、そんなものが含まれているように見えたのだ。

 

 

 それだけじゃない。クラスメイトたちは私に授業内容を質問したりと、頼られるようになっていた。

 

 

 もちろん、私に答えられるはずもない。私はその授業には出ていないのだから。しかし、わからないというと、彼らは昨日は答えてくれたのにと恨めしげに睨むのだ。

 

 

 それだけじゃない。まったく見知らぬ後輩から話しかけられることも多くなった。覚えも知らないことで先生から褒められることもあった。

 

 

 褒められたり頼られたりして、気分が良かったかと言われれば頷こう。しかし、それは最初だけで、次第に怖ろしく思えてきた。

 

 

 私がいないところで、私が勝手に動いている。そのことがどれほど怖ろしいことか、その事実が次第にわかってきたのだ。

 

 

 待ち合わせしていた友人が一向に来ない。かと思えば、友人はすでに私といっしょに帰ったらしい。

 

 

 行きつけのクレープ屋でいつものを頼むと、また食べるのかいと呆れられた。さっき私が来て食べていったらしい。

 

 

 背筋が寒くなっていく。私は自分の身体を抱きながら、家へと走って帰った。

 

 

 もう、やめにしよう。もうひとりの自分なんてお願いするべきではなかったのだ。辛いことも苦しいことも、私が全部背負うべきだったのに。

 

 

 私の部屋の前に、三人の私がいた。もう遅いよ。私が言う。嫌な笑みだった。その視線につられて、私はかすかに開いたドアを覗く。

 

 

 部屋にいたのは私と、憧れていた先輩だった。二人はキスをしていた。私は震えて声すら出せなくなっていた。

 

 

 クラスの人気者で。成績が良くて。性格もね。先生からの評価も高い。友達も多くて。かっこいい彼氏もできた。

 

 

 もうクラスに馴染めないでしょ。友達との話も合わないでしょ。私たちの方が、あなたよりもずっと上手く「私」をやっていける。

 

 

 だから、もう、いらないんだよ、劣化コピーさん。私たちから投げかけられる言葉に、私は何も言うこともできず、立ち尽くしていた。

 

 

千石撫子だらけ

 

 一万時間の法則。どんな分野でも、一流と呼ばれるような人たちは、必ず一万時間以上の鍛錬を積んでいるという調査結果があるそうです。

 

 

 わかりやすく帳尻を合わせると一万時間とは約一年になりますが、生活は努力の上に来ます。つまり、一万時間=一年の方程式には、×3をする必要があります。

 

 

 あることについて努力をしている時は、他の何かをさぼっている時です。たとえば、私。私は今、漫画かを目指しています。

 

 

 ただ、その努力に人生の大半を割こうという私の決断は、中学校に全く通わなくなるという決断と、ほぼイコールでもありました。

 

 

 ただし、一万時間の法則の真偽はともかくとして、私には、それだけの時間がありません。その三分の一もありません。

 

 

 なぜなら、わたしはついに今朝、私のご両親から、言われてしまったからです。『中学校を卒業したら働きに出なさい』――と。

 

 

「どうしてもって言うなら、簡単に成果を上げる方法はあるけどね」

 

 

 友人である斧乃木ちゃんはそう言って、方法を提示してくれました。常識では考えられない、怪異の彼女らしい方法を。

 

 

「努力の量を三倍にするんじゃなくって、お前の人数を三倍にすればいいんだよ」

 

 

 斧乃木ちゃんがいったい何を言っているのか、まったく意味がわかりませんでした。しかし、次に言われた言葉を聞いて、ようやく頷けるようになりました。

 

 

「これからお前は、このスケッチブックに、四人の千石撫子を描きなさい。僕がそれを、立体化してあげる」

 

 

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