眺めているカルテの文字がぼやけている。机の上の珈琲を喉に流し込んで、襲い来る眠気を打ち払った。
この後は患者の定期検診に行かなければならない。医者が体調の悪そうな表情を見せるわけにはいかなかった。
今日は山田さんのご家族が来ているとのことだった。山田さんは入院している上品な老人であるが、抱えているのは難病である。
進行を抑えることはできても、回復する見込みはない。そんな心苦しい真実を、これからご家族に伝えなければいけないのだ。
「そんな……」
彼の娘さんであろうか、子どもを連れた妙齢の女性は口を手で押さえて涙を零した。彼女の後ろに立つ男性はそっと彼女の肩に手を添えているが、表情は硬い。
彼らの子どもだけはきょとんとした表情で両親を見ている。まだわからないのだろう。祖父と孫の中は良いらしく、病室できゃっきゃと遊んでいる姿を何度も見かけた。
「どうにか、どうにかできないんですか! あなた、お医者様でしょ!」
女性が張り裂けそうな声で私を責める。やめないか。今にも私に平手でも飛ばしそうな彼女を、夫がなだめる。
「すみません、妻が」
いえ。首を振って答えた言葉が掠れた。
彼らが立ち去った後、私は山田さんのカルテを眺める。どうにかできないものかと思案してみても、結果は変わらない。
こういう時、どうにも虚無感と言うべきか、無力感と言うべきか、そういったものに苛まれるのだ。
医者は神様でなければ、人の命を救う機械でもない。医者とて人間である。神様であれば。あるいは機械であれば。そう願うことは、人間としての自分を否定することである。
しかし、我が手から救えないままに零れていく命を見送っていくたびに、私は未熟な人間である自分自身が嫌いになるのだ。
疲労のせいだろうか。だから、こんなにも余計なことばかり考えてしまうのだ。
小さな病院の医者に休息はない。休日でも呼ばれれば行かなければならないのだ。患者の数に対して、医者の数は足りない。
患者が助からないことを伝える私は、彼らにとっては命を救う存在ではなく、死神に見えているのだろうな。
私はそう思い、自嘲的な笑いを零した。今にも私に殴りかからんと睨みつけていた彼女の憎々しげな瞳を思い出す。
人の命を救うとは、はたしてどういうことなのか。彼女の視線は、私にそう問いかけているようにも思えた。
見送る覚悟
病院とは、病気を患ってしまった人々が、治療を求めてやってくる場所である。
しかし、またひとつの一面として、病院とはもっとも多くの命を看取る場所でもあるのだ。
ならば、救いようのない患者をどう救うのか。助からない患者をそれでも助けるには、どうすればよいのか。
夏川草介先生の『神様のカルテ』を読んで、ふと、考えたことがある。ただ命を救うことだけが、救いとは限らないのではないか、と。
病気で蝕まれるのは身体だけではない。身体が治っても憂鬱そうな彼らは、病によって心を蝕まれているのである。
現代医療は命を救うための治療である。では、心はいかにして救えばよいのか。
大切なのは技術の高さや知識の深さではない。心のありようである。心を治すためには、心の底から沸き起こる真摯な想いこそが薬となるのだ。
大量の薬をこれでもかと言わんばかりに投与し、最新医療の器具をごてごてと取り付けたならば、短い命を長引かせることはできよう。
だが、はたしてそれは生きていると言えるのだろうか。ただ呼吸をしているだけの人形と変わらないのではないか。
せめて人間らしい終わりを。そんなのはただのエゴかもしれない。だが、なんとしてでも命だけは長引かせてくれというのもまたエゴである。
覚悟が必要なのだ。終わりの否定ではなく、終わりを受け入れる覚悟が。彼らが安らかに眠れるように。
私は立ち上がる。何も変わらない。やるべきことをやるだけだ。これから山田さんに会わねばならない。
これからは、白衣を着た死神の仕事だ。救いたい命は手のひらから零れていく。だが、彼らの心だけは、落とさないようしかと抱きしめなければなるまい。
現代医療に疑問を問いかける感動作
なんたる失態だ……私は慨嘆した。釈明の余地のない失態なのである。その危篤の事態に気付いたのは、つい先刻のことであった。
今夜は救急外来の当直である。救急部の入り口にはけが人、病人が列をなし、診察まで一時間待ちの有様だ。
カレンダーに目をやり、日付を確認して思わず息を呑んだ。今日は私と細君にとっての、初めての結婚記念日であったのだ。結婚記念日終了まであと一時間。
補足せねばなるまい。私こと栗原一止は、本庄病院に勤務する五年目の内科医である。
信濃大学医学部を卒業した後、この病院に身を投じた。以来、働き続けて間もなく五年となる。
ちなみに、私の話しぶりがいささか古風であることはご容赦願いたい。これは敬愛する漱石先生の影響である。
些末な問題のはずだが、世の人々はこの一事をもって私のことを変人と笑うのだから嘆かわしい。このような場合は、彼らの不寛容をこそ笑い飛ばせばよいのだ。
さて、とカルテの山を小脇に抱えつつ辺りを見回せば、いつものことながら救急部は大騒ぎである。
この患者の山を、内科医五年目の私と研修医二人で対処する。無茶と思うであろう? 無茶なのである。その無茶を何とか切り回しているのが、地方病院の現状というしかない。
世の中というものは、こうやって回っているのだ。そして回り続けて、自分がどっちを向いているのかわからなくなっているのが、今の世間というものだ。
こういう時、自分だけ回るのをやめると世人からは変人扱いされる。細君には迷惑をかけたくないので、とりあえず一緒に回ることにしている。
どうやら今宵も眠れぬらしい。診察室に入る前に、ふと時計を見た。零時五分。記念日は過ぎていた。
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