目覚めたのは、200年後のリアデイルだった『リアデイルの大地にて』Ceez


 きりきりと腕が軋む。弦を引き絞る指はかすかに汗ばんでいた。ふっ、ふっ、と浅い呼吸が知らず唇の隙間から零れ出ている。

 

 

 遠く見える草原に、巨大な猪が佇んでいた。まるで闇を落としたかのような黒い体毛は、全ての色を呑み込むかのよう。

 

 

 黄色い視線が見えないはずの私の姿を捉えた気がした。ぞわっと全身の毛が逆立つ。背筋に冷たい汗が流れた。

 

 

 ごくりと嚥下する音が響いた。うるさい。そう怒鳴りたくなるが、その音は私の喉元から聞こえていた。心臓の音すらも騒がしい。

 

 

 限界まで引き絞り、そして、指を離した。放たれた矢は彗星のごとく宙を駆け、豪華を纏ったかと思えば、猪の巨躯に突き刺さった。

 

 

 猪はひと声、高らかに鳴き声を上げたかと思えば、矢を突き刺した敵、すなわち私に向かって凄まじい速さで迫ってくる。

 

 

 黄色い瞳は憎悪と怒りによって深紅に染まっている。身の丈よりも巨大な猪の突進をまともに受ければ、私の身体は粉々に砕け散るに違いない。

 

 

 そんな悲惨な未来を幻視しながらも、私は冷静にもう一度弓を引き絞る。もうターゲティングはできていた。あとは、もう、放つだけだ。

 

 

 私の手元から放たれた凶弾は、吸い込まれるように猪の額に突き刺さる。轟音を立てて猪の巨躯が倒れた。ほう、と息を吐いて、私は額の汗を拭いながら立ち上がると、猪に近づいた。

 

 

 猪はもうぴくりとも動かない。頭の上に浮かんだHPバーは今や、その体毛と同じように真っ黒に染まっていた。私は側にしゃがみこんで、落ちていたお金を拾い上げた。

 

 

「はあ……これで、クエストは終わりかな。やっぱりソロで倒すのはきついな、ほんと」

 

 

 私はため息を吐いた。一回、手を抜いたせいで倒しきれずに一撃でHPを持っていかれた苦い経験が胸の内によみがえる。

 

 

「あーあ、明日はテストかぁ。この小説みたいに、私もゲームの中に世界に行けたらいいのに」

 

 

 私はゲーム機のコントローラーを適当に放り出して、近くに置いてあった小説を手に取った。

 

 

 最近、買ったばかりの小説だ。表紙がかわいかったから、つい手に取ってしまった。

 

 

 でも、読んでみたら期待以上に面白い。私はあっという間にどっぷりとのめりこんでしまった。

 

 

 さてと、今日もリアデイルの世界に行こうかな。いつもやっているオンラインゲームとはまた違った、文字で創られたゲームの中の世界に。

 

 

 私は本のページを開いて、物語の世界にログインした。

 

 

辛い現実から理想の世界へ

 

 ふぅ、面白かった。私は物語からログアウトして本を閉じた。続きは明日の楽しみに、かな。

 

 

 さてと、宿題でもしようかな。そう思ったけれど、すぐに集中できなくなった。身体がそわそわする。私の中で欲望がふつふつと湧き立っていた。

 

 

 もう、宿題はいいや。どうせ、集中できないし。私はさっき消したばかりのゲームの電源を再起動した。

 

 

 ゲームの中に入るファンタジー作品に触れると、どうしようもなくゲームをやりたくなるよね。

 

 

 ほら、『ソード・アート・オンライン』とか、『オーバーロード』とか。

 

 

 私は、そこにゲームの中の世界に対する憧れのようなものがあると思う。異世界転生とかも近しいものだろう。

 

 

 現実はつらいことがいっぱいだ。だから、ゲームなんていうものがある。ゲーム機はリアルを忘れて、別の世界に行けるためのどこでもドアだ。

 

 

 そこでは、私たちはただ教室の隅で俯いているだけの存在じゃない。NPCからも尊敬されるし、ちやほやされる。

 

 

 強い敵でも簡単に倒せちゃうし、世界を救う英雄にもなれる。ゲームの中の私は、私であって私じゃないのだ。

 

 

 ゲームの中では宿題なんてしなくてもいい。ただ、やりたいことをすればいい。決められたプログラムの世界でしかなくても、そこは定められた自由の世界なのだ。

 

 

 ログインすると、私もプログラムのひとつになった。片手に握った弓を見下ろす。現実では扱えない弓も、ゲームでは手足みたいに扱える。

 

 

 私はゆっくりと弓を構えた。目の前に聳えるのは、巨大な敵だ。『現実』の私を足止めして不自由にする巨大な敵。それは、先生のようにも、親のようにも見えた。

 

 

 私は狙いを定めて、弓を射抜く。敵の姿がゆっくりと倒れていった。私は自由だ。リアデイルの大地に降り立った桂菜のように。

 

 

ゲームの世界を旅する最強のハイエルフ

 

 ぱっと差し込んだ強い光と、舌足らずな呼び声に彼女はうっすらと目を開く。頭上にぼんやりと見えるのは木目のついた木の天井。

 

 

 欠伸交じりに返事を返せば、眩しい笑顔で切り返してくれる少女に自然と目が覚める。朝日に照らされた上半身で日の光を吸収するように伸ばした桂菜は、自身を見下ろしてピシリと動きを止めた。

 

 

 ついさっきまで目を閉じた場所は白い壁に囲まれ、見飽きるほどに過ごした病室だったはずだ。むしろ一人で起きることすら不可能な自分が、起き上がって伸びをした事実に放心する。

 

 

 頬をつねる。……痛い。まぎれもなく現実だ。古典的な現実と夢との判別方法により直面しているこれこそが現実と認識。

 

 

 ここは直前までプレイしていたオンラインゲーム、その世界。リアデイルそのものではないかと。

 

 

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