毒舌執事が事件を解決『謎解きはディナーのあとで』東川篤哉


「本日のディナーは革靴のステーキでございます」

 

 

 白いテーブルクロスの上に整然と並べられた食器。磨かれて光沢を身にまとう平皿の上に無骨な革靴が載せられているのは、いっそ背徳感さえ覚える光景だった。

 

 

「これは、いったい何の冗談かしら」

 

 

 私は傍らに影のように立つ執事に問いかける。自分のこめかみがひくひくと痙攣しているのがわかる。もちろん、怒りで、だ。

 

 

「なにか、不備がありましたでしょうか」

 

 

「不備があるどころか不備しかないじゃない。不備のよりどりみどりじゃない」

 

 

 私は皿の上に乗った革靴を指差した。見れば見るほど無骨だ。女学校のどろどろしたいじめでも、こんな屈辱を受けたことはない。

 

 

「あなたは私に革靴を食べろって言うのかしら。私に、跪いて靴を舐めろって言うのを遠回しに暗示しているのかしら」

 

 

 財閥の令嬢である私を何だと思っているのか。これは減給で済ませられる話ではない。今すぐ料理長とこの使えない執事を屋敷から追い出してやる。

 

 

「まあまあ、お待ちください、お嬢様」

 

 

 これだけ衝撃的なことをしたにもかかわらず、執事は悠々とした態度で私を宥めた。

 

 

「実は、革靴というのは食べられるのでございます」

 

 

「嘘でしょ」

 

 

「本当でございます。チャップリンの『黄金狂時代』という映画で革靴を食べる場面がありますように、食べることは可能です」

 

 

 私は驚愕で目を見開いた。革靴なんて食べられそうにないものの中でも上位に入るかもしれないくらいには身体に害がありそうなのに。

 

 

「もちろん、害があります。というのも、現代の革靴は化学製品を使っているため悪影響があり、とてもおいしいものではないからでございます」

 

 

「じゃあ、あなたは私にそんな失敗作を食わせるつもりだったっていうことかしら」

 

 

「いいえ、こちらの革靴は化学的手順を用いず、自然物のみで制作された特注品でございます。味付けに関しても、一流の料理人である料理長が食感や味を調整してつくった自信作です」

 

 

 ですから、気兼ねなくお召し上がりください。それと、わたくしと料理長の解雇宣言を撤回していただけると助かります。彼はそうつけ加えた。

 

 

 私は半信半疑ながらも、ナイフとフォークを手に取って革靴に突き立てる。何をしているのだ私は、と思っていたけれど、革靴は意外とおいしかった。

 

 

 その靴を見て、ふと思い出す。私は黙ったまま佇んでいる執事を振り向いた。

 

 

「あなた、謎解きはできるかしら?」

 

 

謎解きは探偵にお任せください

 

 屋内でブーツを履いたままの被害者。にもかかわらず、部屋の床は汚れていない。つまり、何者かによって運ばれたのではないか。

 

 

 推理は迷宮へと差し掛かっていた。犯人は男だと思われるが、最有力の容疑者とされている男にはアリバイがあった。

 

 

「と、いうわけなんだけれど、どう思う?」

 

 

 それは私が最近読んでいるミステリ小説に描かれた事件であった。刑事をしている令嬢から事件の詳細を聞いた執事が、事件の謎を解決するという作りになっている。

 

 

 執事の毒舌は読者への挑戦状とされているらしい。つまり、ここまでの詳細を聞いて事件を解決できるのか、と作者から問われているわけだ。

 

 

 ひそかなミステリ好きの私としては、そう言われてしまっては大人しく読んでは沽券にかかわる。そんなわけで、聞いてみたのだった。

 

 

 執事が私から渡されたその本を読んでいる。自分の使える主に対する暴言には憤っていたが、そもそも食卓に革靴を出すのもどうかと思うが。

 

 

「失礼ながら、お嬢様、私にはわかりません」

 

 

「ああ、やっぱり、小説みたいにはいかないのね」

 

 

「申し訳ありません。力及ばず」

 

 

 いいのよ。私は手を振って本を返してもらった。仕方がない。執事が探偵なんてできるのは、物語の中だけだろう。

 

 

 だからこそ、おもしろいのだ。執事が身近な私としては、そんな作品は斬新で、楽しかった。

 

 

「謎解きはやっぱり執事には無理なのかもねえ」

 

 

「ええ、幼い頃に探偵でも目指していなければ無理でしょう」

 

 

事件の解決はディナーのあとにいたしましょう

 

 国立市の事件現場でシルバーメタリックのジャガーを見かけたなら、それは風祭警部のものだと思って間違いない。

 

 

 風祭警部は、今年三十二歳で独身。だが、ただの独身ではない。父親は中堅自動車メーカー『風祭モータース』の社長で、つまり彼はお金持ちの御曹司。

 

 

 それでいて彼は国立署に所属する警察官であり肩書は警部である。要するに《金持ちのボンボンが警部になった》ということだ。

 

 

 宝生麗子はこの警部が苦手である。そして風祭警部はそのことに薄々とさえ気がついていないらしい。

 

 

 普段、刑事としての麗子は、刑事らしい堅実な印象を維持することに努めている。風祭警部は麗子が『宝生グループ』の総帥、宝生清太郎のひとり娘であることを知らない。

 

 

 麗子は、軽い夕食をとると、食後は夜景を見渡せる広間のソファでくつろいだ。

 

 

 事件の詳細を雑談として執事に話していると、彼は眼鏡の奥の瞳を一瞬輝かせたものだから驚いた。

 

 

 この影山という若い執事は謹厳実直を絵に描いたような雰囲気の男で、むしろ自分の考えや感情を表に出さないよう心掛けている印象さえある。

 

 

 麗子は影山の詳しく話してほしいという要望に応えてやることにした。誰かに話すことで事件の理解が深まるのではないかと考えたからだ。

 

 

 麗子はソファに腰かけて、事件の詳細を隠すことなく語っていった。影山は執事らしくきちんと立ったまま真剣に耳を傾けていた。

 

 

 率直に思うところを述べさせていただきます。そういって、深々と一礼した影山は、ソファに座った麗子に顔を近づけた。

 

 

「失礼ながらお嬢様――この程度の真相がおわかりにならないとは、お嬢様はアホでいらっしゃいますか」

 

 

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