これは私が幼い頃の話である。幼い頃、私は山の上に棲む天狗と会ったことがあるのだ。
といっても、到底信じられないだろう。私とて、自分のことでありながら未だ信じてはいないのだから。
なにせ、幼い頃であって、記憶は曖昧である。それどころか、天狗と会っていた頃の時間はまるで霧がかっているかのように隠れている。そこだけが明白に。
だからこそ、これから私の話すことはひどく断片的であることは許していただきたい。
さて、あれは私が小学生に上がった頃のことである。いや、もしかしたら小学生になって中途にもなる頃かもしれない。
ともかくも、小学生の頃であった。いつものように学校に登校しようとしたところで、私の記憶はプツンと消える。
後で、当時はまだ健在であった祖母の証言によると、家を出た途端、私はどこか虚ろな、ぼんやりとした瞳になって、さまようように歩いていったらしい。
祖母が不安になって私の後を追いかけたが、角を曲がった先で私の姿は影も形もなくなっていた、とのことである。
では、その後の私をお話しよう。といっても、私の意識は家を出たところでなくなっているのだから、祖母が見たという過程のことは一切が記憶にない。
気がついた時には、私はすでにどこかの森の中にいた。写真で見た近所の山の情景に似ていると思ったものの、はっきりとはしない。
そして、私とともにいたのが身長にして二メートル以上にもなるかといわんばかりの大男であった。
奇妙な風貌をして、高下駄を履いていた。後から知ったのだが、どうやら、その服装は山伏の衣装であるらしい。
しかし、彼の形相は頓と思い出せない。まるでそこだけ切り抜かれているかのようにぼやけているのだ。
だから、果たしてそれが天狗なのかと問われたならば、私は明確に答えられないとだけ、あらかじめ言っておこう。
しかし、私は彼が扇を振るってつむじ風を起こし、木の梢を渡っていくという神業をこの目で見たのである。
彼のような普通の大男がそんな所業をできるというならば、天狗であることの否定もできようが、今のところ、私は彼を天狗としている。
さて、では彼がどうして私を連れてきたかと問われたならば、私にはいまいちわからない。だが、おそらく自分の身の回りの手伝いをさせたかったのかもしれない。
あるいは、ただの気まぐれだったのか。かくして、私は天狗のもとで三日ほど過ごした。家族の言うところによると、私は三ヶ月もの間、いなくなっていたらしいが。
神隠しの間
神隠しの間、私が何をしていたかといえば、それほど大したことをした覚えはない。
ただ、天狗の指示に従って、木の実を探したり、草を刈ったり、風呂を焚いたりしていた。
風呂なんかは大きな五右衛門風呂で、ふいごで火を燃やしていた中で、天狗は機嫌よさそうにしていたものである。
逆らったり気に入らなければ何をされるかわからない。幼いながらにそんな思いがあったから、何も文句を言うことなく働いていた。
すると、天狗は私を気に入ったのだろう、木の実を分けてくれたり、供え物のもちをくれたりしていた。
そうして、それなりに働いた頃であった。
「お前は帰るといい。だが、俺はお前を気に入った。いずれ、迎えに行こう」
そう言われたかと思えば、気がついたら私は家の前にいた。縁側にいた母が驚いていたのを覚えている。
祖父は私が神隠しに遭っていたのだということで、それを聞いて初めて私は三ヶ月経っていることを知ったのだ。
以来、まるで神隠しなんてなかったかのように、私は日常に戻った。神隠しに遭っていた間のことはすでに記憶から薄れていたけれど、彼の最後の言葉だけは残っている。
いずれ、迎えに行く。私は、どこか、その時が遠くないことを感じていた。そして、二度と私は戻らないのだろう、と。
風を切る音が聞こえる。空に高笑いが響いた。身体がふわりと持ち上がるような気がして、そして意識が暗く落ちていった。
少女が山から下りてきた
ある日のことだ。郵便屋さんが一通の手紙を俺に渡してきた。宛名には『むかしの駅長さんの息子様』と書かれており、差出人は『神かくしレストラン女主人お花』とある。
私は昔、神隠しに遭って、お世話になった、お花です。どうしても、日向和田へ、行ってみたい。近いうちに行きます。待っていて、ください。
俺は車に飛び乗ると、日向和田の駅に駆けつけた。プラットホームに入ってぶらぶらしていると、電車がやってきた。じーっと降りてくる人を見ていたら、ひとりの婆さまが俺の方へやってきた。
その婆さまがお花だった。顔をくしゃくしゃにして、今にも泣きだしそうに、俺の手をしっかり握って感激している。
お花ちゃんは『神かくしレストラン』というレストランを開いたらしい。俺はお花ちゃんから、詳しく話を聞くことにした。
今から何十年も前のことだ。ある日、朝早く、小さな女の子が泣きながら山から下りてきた。
俺の父ちゃんがびっくりして、そばへ行って聞いたけど言葉がわからない。このへんの言葉じゃないんだ。つまり方言さ。
女の子は小さいし、泣いてて、何言ってるかよくわからない。でも、ようやくその子が、岩手県辺りの子どもらしいってわかった。
そこで、母ちゃんと俺に世話をさせ、父ちゃんは鉄道電話をかけまくったんだ。
そうしたら、盛岡の山の方の村で、女の子がひとり、ふっと姿を消して、神かくしだと村中大騒ぎ。その子の名が、お花っていうんで、それだ、となった。
そこで、うちの母ちゃんが握り飯、いっぱい握ってね。かごに詰めて持たせた。水筒に水入れてね、首に大きな札をぶら下げた。
『この子は、岩手の森岡まで行きます。駅に着いたら下ろしてやってください』
「あのときのおにぎりの味、一生忘れないくらいうまかったよ。みんな、これは天狗さんのやったことだ、って言ったんだよ。神隠しだってね」
あの頃の東北は貧しかった。だから、おいしいおいしい米の飯を、腹いっぱい食わせる『神かくしレストラン』を開いたんだと。
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