「ほら話」なんてのは最悪だと思わないかい。だって、それはただの嘘じゃないか。私は嘘が嫌いだ。だから、私は生まれてから一度も嘘をついたことがないのさ。
たとえば、だ。曲の途中、間奏の中に、一分間の空白がある。全く何の音もない、無音。曲の途中だからこそ、その音のないメロディはやたらと耳に残るだろう。さて、どうしてその空白は生まれたのだろうか。
伊坂幸太郎先生の『フィッシュストーリー』という作品を知っているかな。フィッシュストーリー。つまり、「ほら話」という意味だ。まさしく、そのタイトルにぴったりだよ。
物語は夜の動物園から始まる。シンリンオオカミの檻の前で男が寝そべっている。果たして、その理由は。彼を眺めている男たちは、その解答を考え始める。
小川市長が命を奪われた悲しい事件。彼がその事件の犯人なのか。あるいは、行方不明になったという一匹のシンリンオオカミが関係しているのか。はたまた、ビルの前に埋められた犬の骨が関与しているのか。
こういう、日常の気になる謎から、きっと「フィッシュストーリー」は始まるんだろう。男が寝そべっているのは、オオカミのことが好きで好きでたまらなくて、彼の姿をずっと見ていたいと願っているからさ、みたいにね。
曲の途中にある謎の空白だって、そのひとつだ。機材の不調か。録音に失敗したのか。もしくは、そこには聴く人が想像もできないような、メッセージが歌われているのだろうか。
音の空白の正体。実は、一発の銃声なのさ。この歌を歌ったバンドはもう解散している。空白は、『フィッシュストーリー』っていう曲の中にあるんだけどね。
その解散の理由。それはこの曲を録音しているちょうどその時、レコードが売れなくて追い詰められていたマネージャーが隠し持っていた銃をぶっ放したんだ。
弾はベースを弾いていた男の眉間に当たったよ、吸い込まれるようにね。空白のところは、彼のパートだったんだよ。
「ああ、曲が途切れちまった、今のが最後のチャンスだったのに」「じゃあ、仕方ないな、このまま出すか」「そうだな、ちょっと編集して出すとしよう」
そんな会話があったとか、なかったとか。どうだろうか。信じられない? いやいや、言っただろう、私は嘘をついたことがないって。まあ、嘘なんだけどね。
『フィッシュストーリー』もそんな馬鹿馬鹿しい話ばかりさ。でも、何よりも面白いのはね、そんな「ほら話」がいろんなところにどんどんつながっていくところなんだ。
まるで枝葉のようにね。曲の空白。正義感。空き巣。村の風習。スタンドに吸い込まれる白い白球。いろんな角度から見てみることだ。そうすれば、パズルのピースみたいにぴたりぴたりと物語の伏線がスポスポ当てはまっていくだろうよ。
ああ、そうとも。だって、君、「フィッシュストーリー」っていう言葉がどうして「ほら話」なんて意味になったと思っているのかな。そこにはちゃんとした理由がある。
「ほら話」にはこうやって、ねえ、尾ひれがついていくだろう。だから、魚。そこから「フィッシュストーリー」なんて呼ばれるようになったんだ。本当のことだよ、調べてみるといい。
物語の中に散りばめられた伏線をひとつひとつ丁寧に組み上げていって、クライマックスのカタルシスを生み出す。伊坂先生の作品によくみられるその傾向は、この作品にもあらわれている。
だからこそ、クライマックスまで読みきったときの感動と気持ちよさはひとしおだろう。あまりにも気に入ったものだから、保存用と布教用と観察用の三冊を、うっかり買ってしまったよ。
まあ、あれもこれもみんな、嘘だけど。
つながっていくほら話
あの日、時期は十月くらいだったのではなかろうか、河原崎さんと一緒に夜の動物園にいた。園内にはろくな灯りもない。幕に覆われたかのような暗さだ。
「あそこを見ろよ」
河原崎さんが突然、人差し指を出し、斜め先に向けた。私は首を伸ばし、目を細める。人がうつ伏せで、倒れていた。いつからそこにいたのだろうか。さっぱり気が付かなかった。
「寝ているんだなあ」河原崎さんは落ち着いていた。
「死んでいたりして」
「それはないだろ。ありゃ、怪しい」
その後すぐに河原崎さんが、「前野市長、小川市長の事件知ってるだろ?」と言うので戸惑った。現職市長が行方不明になり、泉ヶ岳の公衆トイレで遺体となって発見されたのだ。
「それがどうかしましたか」
「あの男の向かいの檻、わかるか?」
「シンリンオオカミ」看板にそうあった。
「オオカミって言えば英語だと『Wolf』だろうが」
「ですね」
「それを逆さにしてみろよ。『Flow』だろう?」
「ですね」
「『Flow』には『小川』っていう意味があるだろ? あるんだよ。市長の名字と同じだ。小川。あの市長の名前は小川純、すげえだろ」
彼がどこまで本心で言っているのか、判断しかねた。
「あの男、たぶん、市長の事件に関係しているぞ」河原崎さんが真顔であればあるほど、私はかける言葉が浮かばない。
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