嘘つき、と。先生も、クラスメイトも、彼女のことをそう言って責めた。違うと必死に否定する彼女の声は、誰のもとにも届かなかった。
一週間前のことである。クラスで大切に飼っていたうさぎが、一匹、どこかへと消えてしまった。
飼育小屋の鍵は普段から閉じられているはずなのだけれど、その日の朝は開けっ放しになっていて、うさぎは影も形もなくなっていたのだという。
クラスのみんなは悲しんだ。みんな、白くてふわふわのうさぎに名前を付けて、心から可愛がっていたからだ。
特に、クラスの女子たちはうさぎを可愛がっていた子が多く、うさぎがいなくなったという事実に泣いている子も多かった。
「誰かが鍵を開けっぱなしにしたんだ」
誰が言ったのだろう、今となってはもうわからない。けれど、誰かのその一言がきっかけだった。
「誰が鍵を開けた」
誰が。誰が。誰が。うさぎがいなくなってしまった悲しみは、いつの間にか、クラスの誰かが鍵を開けっぱなしにしたのだという犯人探しにすり替わっていた。
誰もが互いに疑惑の視線を向けていた。あいつが。彼が。彼女が。こいつが。事件が起こったであろう時間の行動を、みんなが押しつけ、密告し始めた。
まだ年若い女性の担任はおろおろとしていて止めることはできなかった。仲が良かったクラスの雰囲気が、険悪に染まっていくのを、彼女は黙って見ているしかできなかった。
疑いの色がもっとも濃厚だったのは、うさぎの世話をする役割を担っていた生物係の子たちだった。
飼育小屋の鍵のありかを知っていて、いつでも開けることができる。しかも、飼育した後に扉を閉め忘れたのではないかという可能性もあった。
生物係の子たちはみんな口をそろえて否定した。そんな中、ひとりだけ、青い顔をして俯いている少女がいた。それが彼女だった。
「最後に当番だったのは」
誰かが発したその疑問に、みんなが彼女に視線を向けた。まさしく、うさぎが逃げる前日の当番は彼女であり、最後に飼育小屋に入ったのは彼女であるはずだった。
「違う、違うの、私じゃない」
彼女は必死に声を振り絞って否定をする。しかし、彼女は何かを言うのをぐっとこらえているような表情をしていた。それがいっそう、彼女の怪しさを増していた。
クラスのみんなはすでに彼女が犯人であるという確信を抱いていた。というよりも、互いに疑い合うのに疲れたのだろう。早急に犯人を決めようとしていた。
「お願い、信じて! 私じゃない!」
最低。嘘つき。涙を流して無実を訴える彼女に、そんな言葉が浴びせられる。すでに犯人に決められた彼女の声は、クラスの誰にも届かなかった。
先生が彼女に近づいて、彼女の細い肩に手を添えた。彼女は縋るように先生の視線を見つめる。
「本当のことを言ってね。素直に謝れば、きっと、みんな許してくれるわ」
彼女は目を見開いて黙り込んでしまった。以来、クラスのみんなは彼女を無視するか、いじめをし始めた。彼女はやがて学校に来なくなり、誰にも会わないまま転校したらしい。
罪の独白
あれから何十年も経った今でも、夢にあの少女が出てくる。彼女は私に向かって言うのだ。嘘つき、と。
今でもはっきりと覚えている。あれは、私が初めて小学校のクラスの担任を受け持った頃のことだった。
クラスで大切に世話をしていたうさぎが姿を消すという事件が起こった。飼育小屋の鍵が開けっ放しになっていたのだ。
悲しみに暮れたクラスは、やがて、鍵をかけていなかった犯人に憎しみを向けるようになった。犯人探しが始まり、誰もが互いを疑い合っていた。
そんな中、最後の生物係だった少女が疑われた。何かを隠しているような態度を見せる彼女に、クラスは犯人の烙印を押した。
彼女は涙を流して否定した。私じゃない。私が犯人じゃない、と。私が彼女に本当のことを言うように言うと、彼女の瞳に絶望の色が見えた。
以来、彼女はクラスから無視され、いじめを受けるようになり、学校に出てこなくなった。
そうしているうちに、彼女の親から転校の旨が伝えられ、私がそれを受け取った。彼女の親は悲しそうな表情をしていた。
彼女はそうしてクラスからいなくなった。だが、その時、私の胸に湧き上がっていたのは深い安堵の感情だった。
きっと、彼女は真実を知っているのだろう。飼育小屋の鍵を開けたのは、私であるということを。
当時の私はまだ新米で、未熟だった。やんちゃなクラスを抑えることもできず、同僚との関係も上手くいっていなかった。
飼育小屋の鍵を開けたのは、ほんの出来心だったのだ。まさか、本当にうさぎが逃げ出してしまうとは思っていなかった。
彼女はもしかしたら、係の時間外に来て、そして鍵を開ける私をどこかから見ていたのかもしれない。うさぎを一番かわいがっていたのは、彼女なのだから。
彼女は嘘つきと呼ばれた。私も、彼女が嘘つきであるというふうに扱った。そうすれば、彼女が真実を言ったとしても、嘘と捉えられると思ったからだ。
当時の私は、初めてクラスを持ったことから、失敗することに臆病になっていた。だからこそ、自分の罪を彼女に押し付けたのだ。
教師として、いや、人間として失格だ。私は自分の勝手な理由だけで、一人の少女の人生を壊したのだ。
ただひとり、必死に真実を語る彼女を、私は虐げた。彼女は嘘つきだと、声高に叫んで。いかにも自分が正しいかのように。
彼女は私を許さないだろう。私は彼女が学校を去ってからもずっと、彼女の絶望の目を忘れることができない。それは、一生私が背負い続けなければならない罪の烙印なのだ。
不死鳥の騎士団の招集
この夏一番の暑い日が暮れようとしていた。戸外に取り残されているのは、十代の少年がただ一人。四番地の庭の花壇に、仰向けに寝転んでいた。
ハリーはゆっくりと息を吐き、輝くような青空を見上げた。今年の夏は毎日が同じだった。そのたびに同じ疑問がますます強くなる。どうして、まだ何も起こらないのだろう。
ハリーは前庭の芝生を横切り、庭の低い塀を跨いで、大股で通りを歩きだした。鍵のかかった公園の入り口を飛び越え、ブランコに腰かけてぼんやりと地面を見つめた。
人声がして、ハリーは想いから醒め、目を上げた。街灯がぼんやりとした灯りを投げ、公園の向こうからやってくる数人の人影を浮かび上がらせた。
ハリーはこの連中を知っていた。先頭の人影はいとこのダドリーで、忠実な軍団を従えて家に帰る途中だ。
ダドリーに声をかけてからかう。自分の中にある鬱憤を、唯一の捌け口のいとこに注ぎ込んでいるような気がした。
ダドリーに昨夜見た悪夢のことを言われて、ハリーは杖を向ける。ダドリーに対する十四年間の憎しみが脈打つのを感じた。
ダドリーが身の毛のよだつ声を上げて息を呑む。何かが夜を変えた。星が、月が、街灯の明かりが消え去った。
フードを被った聳え立つような影が、地上に少し浮かび、スルスルとハリーに向かってくる。よろけながらも後ずさりし、ハリーは杖を上げた。
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