世界はより悪い方へと向かっている。私はそう信じていた。それが間違っていると教えてくれたのは、一冊の本であった。
題名を『ファクトフルネス』という。ハンス・ロスリングという人が、息子と、息子の妻とともに書き上げた一冊らしい。
彼はしかし、この本の完成を待たずして亡くなったという。『人生をかけて』という彼の言葉は、決して誇張ではなかった。
私が大して興味がないはずのその本を読んだのは、その熱意に当てられたから、というわけではない。最初の数ページで驚かされたからだった。
この本が『チンパンジー問題』と呼ぶものがある。貧困やエネルギー、教育、ジェンダー、人口などに関する十三の三択問題である。
私はある種の自信を持って答えていった。時に迷うものもあったが、ほとんどの問題は迷いなく選んでいったのだ。しかし、その問題の解答を見て、私は愕然とした。
私が正解を当てられたのはたったの3問だったのだ。あとはことごとく間違えていた。
さて、ここで、この問題がどうして『チンパンジー問題』と言われているか、というと。
たとえば、三つのバナナに選択肢を書いておくとする。チンパンジーに問題を言って、彼が選んだバナナが選ばれた答えだということだ。
もちろん、チンパンジーは問題なんて知ったことではない。彼らにとって大切なのはバナナだけ。解答なんて、適当に選ばれるだけだろう。
三つのバナナのうち、チンパンジーが正しい回答を選べるのはおおよそ3割ほど。つまり、全問中4問正解できる計算になる。私はチンパンジーに負けたのだ。
とはいえ、作者が言うには、私だけでなく、多くの人、それどころか、高学歴な人さえも、この問題は間違えるのだという。
チンパンジーに負ける。そのショックはすさまじい。それゆえに、この問題を『チンパンジー問題』と呼ぶのだ。
しかし、どうして、そんなにも多くの人が間違えるのか。私は間違えていないだろうという確信をもって答えた。それは、今までそう教えられてきたからだ。
社会の教科書に載っていた一枚の写真。私は何年も経った今でも、その写真を見た時の衝撃は忘れられない。
痩せ細った少女が蹲っている。その様子をじっと見つめる、一羽のハゲタカ。その瞳は、少女が物言わぬ獲物となるのを、虎視眈々と待っている。
その写真には随分と論争があったという。カメラマンの倫理を疑う者もあった。ようするに、私が衝撃を受けたのと同じように、多くの人がその写真を見てショックを受けたのだろう。
しかし、果たしてその写真が撮られたのは、いつのことだろうか。世界は変わっていく。それなのに、私を含めた多くの人の頭の中では、まだその写真の少女がいるのだ。
世界はより良い方向に向かっている。極度の貧困は少なくなり、多くの人が性別問わず教育が受けられる社会になった。
にもかかわらず、私たちはそれを認められない。世界はより悪くなっていく。その悲劇的な未来を、私たちは捨て去ることができないのだ。
この本を読んで、そのことに気付いた時、私が感じたのは、ただひとつのことだった。
なんて馬鹿馬鹿しいのだろう、と。
世界には苦しんでいる人たちがいる。そう叫んで人道支援に励む人たちがいる。彼らの善意を見て、なんと立派なのだろうと感心していた。
しかし、当の彼らが、自分たちの活動の結果を見ていないのだ。彼らが幸せになったことを認めず、今もまだ、彼らを支援しなければならない存在として叫んでいる。
それはもはや、善意ではない。支援を受ける彼らからしてみれば、自分たちの成長を認めてもらえていないということになるのだから。
寄付は悪いことじゃない。寄付に救われる命は多い。しかし、盲目的な善意ほど失礼なことはないだろう。それはいっそ、悪意よりもよほど性質が悪い。
世界をより良く。それは誰しもが願っていることだ。しかし、どれだけ世界が良くなったとしても、私たちは世界が悪くなったと言い続けるのだろう。
満たされない。満たされない。世界をより良くしてきた人たちの努力を、私たちは否定している。
私とて、ただ言われるだけでは信じなかったに違いない。「世界が悪くなっている」という間違った常識はそれほどまでに根付いている。
しかし、この本は純然としたデータとして、その事実を教えてくれた。こうも明確であったら、もう疑うことすらできない。私も大人しく認めるとしよう。
とはいえ、もうひとつ、心に留めておかねばならないことがある。
統計はあくまでも、把握されているという前提が必要だ。つまり、言い換えるならば、「把握されている限りにおいて、世界は良くなっている」のだ。
数字はいろいろなことを教えてくれる。しかし、絶対ではない。数字に表れない取り零しが、世の中にはいくつあることだろう。
ハンス・ロスリング先生は未来に訪れるであろう五つの脅威を危惧していた。そのうちのひとつが今、現実となっている。
感染症による危機。政府が把握できていない中に、いったい何人もの隠れた感染者がいることだろう。
毎日、ニュースは暗い話題ばかりだ。外出は制限されていて、なんとも気が滅入る。
しかし、そんな時こそ思い出すのだ。世界は良くなっている。ニュースが報じているのは、視聴率がとれると見込んだ、世界の変化の中の「最悪」の一面だけなのだ、と。
専門家ですら知らない、この世界の真実
ここ数十年間、わたしは何千もの人々に、世界の事実について数百個以上の質問をしてきた。
貧困、人口、ジェンダーなど、どれも世界を取り巻く状況の変化にまつわる質問だ。複雑な質問や、ひっかけ問題はひとつもない。それなのに、まともに正解できる人はほとんどいない。
世界の人口のうち、極度の貧困層の割合はここ二十年で半減した。なんとすばらしいことだろう。わたしが見てきた世界の変化の中で、もっとも重要なものだと言える。
しかし、これほど初歩的な世界の事実でさえ、広くは知られていない。正しく答えられたのは十人にひとりもいなかった。
学歴の高い人や、国際問題に興味がある人に限れば、正解率は高いのでは? しかし、このグループでさえも、大多数がほとんどの質問に間違っていた。
何も知らないというより、みんなが同じ勘違いをしていると言った方が近いかもしれない。本当に何も知らなければ、正解率はあてずっぽうに答えた場合と近くなるはず。しかし、実際はそれよりずっと低い。
チンパンジーが適当に選んだだけで、高学歴の人たちに勝てる。人間はよりドラマチックな方を選ぶ傾向が見られた。ほとんどの人が、世界は誰よりも怖く、暴力的で、残酷だと考えているようだ。
「世界では暴力、人災、腐敗が絶えず、どんどん物騒になっている。金持ちはより金持ちに、貧困は増え続ける一方だ。何もしなければ天然資源ももうすぐ尽きてしまう」
あなたは、このような先入観を持っていないだろうか。わたしはこれを「ドラマチックすぎる世界の見方」と呼んでいる。精神衛生上よくないし、そもそも正しくない。
世界の大部分の人は中間所得層に属している。わたしたちがイメージする「中流層」とは違うかもしれないが、極度の貧困状態とはかけ離れている。
時を重ねることに少しずつ、世界は良くなっている。課題は山積みだが、人類が大いなる進歩を遂げたのは間違いない。これが「事実に基づく世界の見方」だ。
わたしの経験から言って、「ドラマチックすぎる世界の見方」を変えるのはとても難しい。その原因は脳の機能にある。
わたしは人生をかけて、世界についての知識不足と闘ってきた。人々の考え方を変え、根拠のない恐怖を退治し、誰もがより生産的なことに情熱を傾けられるようにしたい。
自分の殻に閉じこもるよりも、正しくありたいと思う人へ。世界の見方を変える準備ができた人へ。感情的な考え方をやめ、論理的な考え方を身につけたいと思う人へ。
ぜひとも、この本のページをめくってみてほしい。
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