廃人にされる子どもたち『スマホ廃人』石川結貴


 二人の男女が向かい合って座っている。カップルだろうか。楽しげな表情だ。しかし、彼らの間に会話はない。彼らは互いにスマホの画面だけを見ている。

 

 

 随分と、静かになった。喫茶店に入って、私がまず思ったのはそんなことだった。

 

 

 会話が飛び交い、子どもの笑い声が聞こえ、がやがやと騒がしい。私はその喧騒に耳を傾けるのが好きだった。

 

 

 しかし、ふと気づく。その喧騒が消えているではないか。客は決して少ないわけではなかった。それなのに。

 

 

 窓際の席の二人組の女子高生は、ジュースを飲みながらコミュニケーションアプリの文字を打ち込んでいる。奥の席の青年たちは、互いに話もせずにスマホのゲームをやっているようだった。

 

 

 誰も彼もがスマホを手にしている。いつの間にか、それが当たり前の光景になっていた。何より怖ろしいことに、そのことに誰も違和感を持っていないのだ。

 

 

 私は石川結貴先生の『スマホ廃人』という本のページを開く。まるで現代を象徴するかのようなタイトルに惹かれたのである。

 

 

 やたらとスマホが目につくのは、その本を買ったからかもしれない。読んでみると、次第にそれが日常に溶け込んでいる光景が、一層恐ろしく見えてきた。

 

 

 中高生たちによるネットでのいじめ。スマホに集中して育児を放棄する母親。ポイントサイトにのめり込み、現実を見失う主婦。人恋しさのあまりにネット詐欺にかかる老人。

 

 

 今までには考えもしなかった恐ろしい事態が、スマホの登場によって起ころうとしている。いや、すでに起きているのかもしれない。

 

 

 便利なツールとして急激な経済成長をもたらし、世の中に大きな変化をもたらしたスマホは、しかし、良い変化だけではなかった。

 

 

 生じてきた新たな社会問題は、今もなお、増え続けている。そして、それでも、人々はスマホを手放すことはできないだろう。

 

 

 私が思い出すのは、二宮敦人先生のホラー小説だ。携帯電話は、すでにその人自身の脳の代替品のようなものだ、と。

 

 

 その当時、それはただのホラーでしかなかったのだろう、よもや、それが現実に起こるだなんて、誰が想像しただろうか。

 

 

 今や、小学生よりも下の子どもたちですら、スマホを持っていることが少なくはない。彼らは生まれた時からスマホに触れて育った。

 

 

 それはまるで、寄生虫のようだ。スマホから伸びる触手が子どもたちの脳に絡みつき、浸食していく。私たちはそれに気付くことさえできない。そんなイメージさえ浮かんだ。

 

 

 現実の私たちはスマホに取り込まれていき、やがてスマホの中の世界に生きるようになる。その時の現実の私たちは、まさしく「廃人」となるのだろう。

 

 

 向かい合って座るカップルに、もう一度視線をよこす。目の前に相手がいるのに、会話はない。二人ともスマホに夢中だ。

 

 

 目の前にいるのに、目の前が見えていない。彼らは互いにスマホの中に生きているのだ。それはもう、珍しい光景ではなくなっている。

 

 

 スマホはただの便利なツールに過ぎない。だが、それを使うのは人間である。スマホが全ての諸悪の根源であるわけではない。使い方次第だろう、何事も。

 

 

 それは、ただ人間の中に元からあった歪みが、スマホという媒体を通して表層に姿を現しただけのようにも見える。

 

 

 使う人によってスマホは姿を変える。便利な道具から、心にささやく悪魔、手の中に収まる小さな世界にまで。

 

 

 私は本のページを閉じて立ち上がった。支払いを済まそうと、店員に声をかける。

 

 

 支払おうとして、ふと気づいた。私はいつから、本や財布を持ち歩かなくなったのだろうか。

 

 

 私の手はスマホを差し出している。画面をスキャンするだけのキャッシュレス。それをいつしか、当たり前のように使っていた。

 

 

 会計を終えて、店を出る。顔を上げて、ふと、目の前に映る光景に、私は愕然とした。

 

 

 静かだ。思わずぞっとした。都会の中心だというのに、驚くほど音がない。誰もが手の中にあるスマホを見ている。赤子も、老人も、若者も、みんなが。

 

 

 私は自分の手を見下ろす。そこには、いつも使っているスマホが収められていた。私の目は、いつしか画面を見ている。

 

 

 私はそこから目を離すことができなかった。ああ、なるほど、私はもうすでに、「廃人」だったのか。

 

 

 思わず手を、頭にやる。私の脳に巣食うスマホ。指の間をうねうねと走る細い触手が、私の手に巻き付いた。けれど、それはただの錯覚でしかない。その通りだ。

 

 

スマホによる急激な変化

 

 LINEとは、LINE株式会社が提供する無料通信アプリ。電話、ビデオ通話、チャット、スタンプの送受信、写真の投稿、ゲーム、音楽など多彩な利用方法がある。

 

 

 コミュニケーションアプリの代表格と言える存在だ。

 

 

 LINEの最大の特徴は、トークだろう。利用者同士が互いを「友だち」と認定すると、双方で多彩なメッセージ交換ができる。

 

 

 トークには、「既読」という機能が付帯している。既読は、LINE社にとって実は大きな意味を持っている。東日本大震災との関連だ。

 

 

 東日本大震災から三か月後、LINEは「既読」機能を付帯して登場する。この機能を人々の生活に役立てたい、既読によって救われる人がたくさんいるはず、そんな予想が立てられたことは想像に難くない。

 

 

 既読をはじめとした便利な機能の恩恵を、多くの人が受けているだろう。だが一方で、既読やトークのやりとりを巡りさまざまなトラブルも発生してしまった。

 

 

 いじめや仲間外れ、誹謗中傷、集団無視などに苦しむ人々。既読やトークを巡る双方の関係性は、中高生などを中心に過敏な反応を引き起こした。

 

 

 本来楽しいはずのやりとりで緊張を強いられ、既読スルーを怖れるあまり常にスマホを手放せなくなる、こんな状況に陥ってしまう。

 

 

 大切な人たちがつながるホットラインになりますように、そんな思いから作られたLINEは想定外の事態に直面した。急成長と利用者の増加とともに、深刻な問題もまた生まれてしまったのだ。

 

 

 スマホという機械、各種の機能や次々と開発されるアプリを使うのは私たち人間だ。一方でスマホは、生活形態を大きく変えるほどの影響力を持ちながら、その歴史は始まったばかりである。

 

 

 押し寄せる進化と変化に対し、多くの人は息つく間もなく、ほとんど無防備に向き合っている。私たちはスマホとともに、この先どこへ向かうのか。

 

 

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