不思議な出会いからゆっくりと育っていく信頼『かがみの孤城』辻村深月


 暗闇の中でテレビを見ていた。カーテンの外から聞こえる近所のおばさんたちの声が、私のことを囁いているように聞こえた。

 

 

 今頃は、三限目の終わりくらいだろうか。テレビの音量を下げる。近所の人たちに私の存在を知られたくなかった。

 

 

 学校に行かなくなってからわかったことは、昼近くの住宅街がこんなにも静かなのだということだ。

 

 

 何の理由もなく学校を休むことが、こんなにも罪悪感や焦燥を駆り立てることも、休むようになって初めて知った。

 

 

 このままではいけないことは、私でもわかっていた。どうにかしなければならない、とは、ずっと思っている。

 

 

 けれど、どうしても、学校に行くことができないのだ。学校に行こうと決意すると、お腹が痛くなり、胸が苦しくなる。

 

 

 どうにかしなきゃいけない。でも、どうにもできない。私だって焦っているのに、みんなが私を悪いというのだ。

 

 

 テレビを消して、頭から布団を被る。布団の中にいると、外からの音が何も聞こえなくなった。世界が私だけになってしまえばいいのに。

 

 

 布団の隙間から、本棚が見える。そこにある一冊の本に視線が注がれた。『かがみの孤城』。辻村深月先生の作品だ。

 

 

 それは、私が大好きな本だった。けれど、今では開けない。主人公のこころの境遇が、私と重なってしまうのだ。

 

 

 こころは同級生からのいじめのせいで学校に通えなくなった。そういった生徒を集めた『スクール』というところにも誘われていたけれど、彼女はそこにも行く勇気が湧かなかった。

 

 

 ある時、部屋にいると、こころの部屋にある大きな鏡が光り輝き始めた。こころは思わず手を触れる。すると、彼女は鏡の中へと引きずり込まれてしまった。

 

 

 鏡の中にあったのは巨大な城。そして、ドレスを着た狼面の少女だった。彼女はゲームの参加者に選ばれたと言う。

 

 

 同じゲームの参加者はこころを入れて七人。マサムネ。アキ。スバル。リオン。フウカ。ウレシノ。

 

 

 城のどこかに隠されている鍵。そして、秘密の部屋。その部屋を開けることができたら、なんでも願いをひとつ、叶えることができるという。

 

 

 決められた日までは、城で彼らがどのように過ごしてもいいという。

 

 

 奇妙なゲームに参加することになってしまった初対面の七人は、戸惑いながらも、交流を深めたり、ぶつかったりして、やがてかけがえのない存在となっていく。

 

 

 読んでいた当時の私は、城や、少女の怪しげな雰囲気に圧倒されながらも、だんだんと仲を深めていく彼らのことを羨ましく思っていたものだ。

 

 

 クライマックスのところなんて、手に汗握りながら読んでいた。それほどまでに物語に没入したのは久しぶりだった。

 

 

 ふと、手を伸ばして、本棚からその本を取り出してみる。暗闇の中で、表紙をじっと見つめた。

 

 

 描かれている巨大な鏡。その鏡が光り輝いているように見えて、私は目を見開いた。

 

 

 震える指先で、鏡面に触れてみる。沈み込むように指先が呑み込まれた。私は、これは夢なのだとわかった。

 

 

鏡の中の不思議な世界

 

 カーテンを閉めた窓の向こうから、移動スーパーの車が来た音が聞こえる。こころの小さい頃から、週に一度、うちの裏にある公園にミカワ青果の車がやってくる。

 

 

 平日午前中の十一時というのがこういう時間なんだということを、こころは学校を休むようになって初めて知った。

 

 

 ミカワ青果の車は、こころにとって、小学校の頃から、夏休みや冬休みに見かけるものだった。こんなふうに部屋で、平日に見るものではなかった。去年、までは。

 

 

 こころの部屋には、大きな姿見があった。そこに映る自分の顔の、顔色が悪い気がして、こころは泣きたくなる。見ていられなくなる。こころはゆっくりとベッドに倒れ込んだ。

 

 

 顔に当たる光が、本当に眩しい。テレビを消してしまおうと、ふっと、何気なく顔を上げたその時、こころは「え?」と息を呑んだ。

 

 

 テレビは、ついていなかった。その代わりに部屋で光っているもの、それは入り口近くにある鏡だった。

 

 

 呆気にとられ、つい、深く考えずに近づいてしまう。光り輝く鏡は、内側から発光しているようで、目が開けていられないほどのまばゆさだった。

 

 

 手を伸ばした。表面は前と同じ、ひんやりとした感触だった。次の瞬間、手のひらが、そのまま、中に吸い込まれる。鏡の硬い感触が、そこにない。

 

 

 そのまま、体が倒れた。鏡の向こうに引きずり込まれる。体が、どこか遠く、引っ張り上げられていくような感覚に、包まれる。

 

 

「ねえ、起きて」

 

 

 倒れた床の、冷たい感触を、まず右頬に感じた。顔を上げられないこころの横で、女の子の声がした。

 

 

 首を振り、ゆっくり瞬きして、体を起こす。声の方向を見て、そして、こころは息を呑んだ。異様な子が、そこに立っていた。

 

 

 狼の、顔。狼の面をつけた女の子が立っている。彼女はレースがたくさんついたピンク色のドレスを着ていた。まるで、リカちゃん人形の服みたいな。

 

 

 はっと、頭の上に伸びる影に気付いて、顔を上げる。城が、建っている。立派な門構えの、まるで、西洋の童話で見るような、城が。

 

 

「おっめでとうございまーす! 安西こころさん。あなたは、めでたくこの城のゲストに招かれましたー!」

 

 

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