私はぼんやりと頬杖をついて、窓の外を眺めた。この列車は、いつまで走り続けるのだろう。
車内には、私の他に誰もいない。私のすることといえば、とりとめもないことを、ただ、考えることしかできなかった。
こうして夜行列車に乗っていると、思い出すのは、森見登美彦先生の『夜行』という作品だった。
私は森見先生の作品が好きで、『夜は短し歩けよ乙女』が初めて読んだ作品である。それ以来、先生の作品とあらばすぐに買いに行っていたほど。
森見先生の作品といえば、古めかしい言葉でユーモアたっぷりの諧謔めいたコメディが多いけれど、私の印象が強いのは、『きつねのはなし』や『宵山万華鏡』といった怪談だった。
コメディの面白さとは対を成したような、思わず背筋がぞくっとする得体の知れない不気味さ。京都の町を見るたびに、私はその不可思議さを感じるようになった。
『夜行』もまた、そうした怪談のひとつだ。それも、その幻想的な不気味さといったら、それまでの作品と比べられるものじゃない。
かつて、同じ英会話スクールに通った仲間たちが、十年ぶりに再会する。彼らはあるひとつの話題を避けるように、親交を再び深め合う。
彼らの思い出に残る、記憶。それは、仲間のひとりが、京都の鞍馬で行方不明になり、それ以来見つかってもいないこと。
彼らの会話は、自然とひとつの方向へと向かい始める。彼らの旅路に関わってくるのは、とある画家の『夜行』という奇妙な絵画だった。
夜行列車の窓の外は、絵の具を塗ったような暗闇が沈んでいる。その中に点々と輝く小さな灯りが、まるで灯篭流しのように美しかった。
後ろに流されていくその窓から見える光景は、まるで一枚の絵画のようで。だとすると、窓が並ぶ列車の中はひとつの画廊だろうか。
暗闇に映る私の影が、にっこりと笑って私を手招きする。彼女がいる世界は、何とも言えず魅力的に見えた。
彼女の手を掴み取れば、どうなるだろう。その先にある夜の世界は、今いる世界よりもきれいで、けれど、冷たい。
向こう側には、きっと別の世界がある。そして、そちら側に行ってしまえば、二度とこちら側には戻ってこれないだろう。
その世界は、きっと、ずっと夜なのだ。世界はずっと夜で、一瞬だけ朝になる。
私は手を伸ばして、窓の向こうにいる彼女の手を掴んだ。彼女が微笑む。それは私とは思えないほど、妖艶で美しい。
と、その時、強い光が差し込んだ。窓の向こうにいる私の姿がかき消されていく。私はそれを、茫然と眺めていた。
遠くに光が見える。朝が来たのだ。たった一度の、朝が。
奇妙な絵画に誘われて
学生時代に通っていた英会話スクールの仲間たちと「鞍馬の火祭」を見物に行こうという話がまとまり、私が東京から京都へ出かけていったのは十月下旬のことである。
待ち合わせ時間には早かったなと思いながら柱にもたれていると、人混みの向こうから「大橋君」と呼ぶ声が聞こえる。そちらを見ると、中井さんが手を挙げて歩いてきた。
我々は立ち話をしながら他の仲間を待った。十年という歳月は、長いのか短いのかよくわからない。
地下の京坂へ通じる階段口から武田君が姿を見せた。武田君は我々の姿を見つけて駆け寄ってくると、にこやかに笑いながら言った。
英会話スクールに通っていた頃、中井さんは仲間たちの中心だった。今から十年前の秋、一緒に鞍馬の火祭へ出かけた六人の仲間たちも、中井さんを中心に集まった生徒たちだった。
武田君をまじえて近況を話しているうちに、藤村さんも姿を見せた。彼女は武田君と同い年で、今回の鞍馬への旅では唯一の女性だった。
最年長者の田辺さんは仕事の都合で少し遅れるということだったので、我々は改札を抜けて叡山電車に乗り込んだ。
十年前の夜、英会話スクールの仲間たち六人で鞍馬の火祭を見物に出かけた。仲間のひとりがその夜に姿を消した。
まるで虚空に吸い込まれたかのように彼女は消えた。失踪当時、長谷川さんは私と同じ二回生だった。
私がみんなに呼びかけたのは、彼女に呼びかけられたからではないだろうか。そのとき、先ほど訪ねた画廊の情景が脳裏に浮かんできた。
昼過ぎに京都駅に到着したが、待ち合わせまでにはまだ時間があったので、私は四条へ出て繁華街を歩いた。
そうして歩いているうちに、ふと目の前をゆく女性の後ろ姿が気にかかった。その女性は一軒の店に入っていった。ちらりと見えた横顔は長谷川さんにそっくりだった。
その店は間口の狭い画廊で、銅製の看板には「柳画廊」とある。ショーウィンドウは「岸田道生個展」というプレートとともに、一点の銅版画が展示されていた。
妙に心惹かれる絵だった。タイトルには「夜行――鞍馬」とある。
「どうして夜行なんだろう」
私が呟くと、画廊主は微笑んで首を傾げた。
「夜行列車の夜行か、あるいは百鬼夜行の夜行かもしれません」
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