旅の魅力とは何だろうか。近頃、そんなことを考えている。はて、いつからだったか、ああ、そうだ、あの本を読んでからだった。
『ラオスにいったい何があるというんですか?』。それが村上春樹先生の紀行エッセイだと知った時は、随分と驚いたものだ。
村上春樹先生といえば、国内国外問わず高く評価されている作家先生。私も先生の著作をいくつか、手に取ったことがある。
そんな先生は、旅先でどんなことを考え、何を得るんだろう。そんな疑問から、私はその本を読むことに決めた。
さて、村上春樹先生は果たして、旅先でどこに行き、何を見たのだろうか。そんな期待を胸に読み始めた私は、すぐに唖然とすることになった。
私の知る紀行エッセイ、たとえば『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』なんかでは、著者の若林正恭先生はカバーニャ要塞をはじめとするキューバの名所を巡り、その様子を記している。
はたまた、たかのてるこ先生の『ガンジス河でバタフライ』では、彼女が現地のさまざまな人たちと交流を持ちながら、旅を楽しむ様子を描いていた。
紀行エッセイとは、普段は味わえない旅先での出来事を記すものなのだと、私は思っていた。けれど、村上春樹先生の文章は、どこか違った。
名所を巡るわけじゃない。珍しいものを見に行くわけでもない。一生に一度かもしれない素晴らしい体験や、美しい景色を見るわけでもない。
先生は、あくまでも旅先での日常の延長戦を辿っている。珍しい光景とかじゃなくて、その場所の雰囲気、生活に根ざした空気を拾い上げて、文章にしたためていた。
そのことに、私は大きな衝撃を受けた。それは私の中の「旅」というものを、覆すようなものだった。
旅行に行って、その地の名所の前で写真を撮りまくり、そしてお土産店でそこでしか売っていない適当なものを買う。
そこでしか体験できない機会には喜んで乗っかり、体験を再び写真という形にして残し、Twitterなりインスタグラムなりに載せてフォロワーの反応をにやにやしながら楽しむ。
私が今までしていたのは、そんな旅だった。けれど、今は、疑問に思う。はたしてそれは、「旅」だと呼べるのだろうか。
おいしい料理も、名所も、写真に残す。写真に残したら、とっとと次の名所へと行く。時間は限られている。短い時間にどれだけの場所をまわれるか。それが全てだ。
いや、それはきっと、本当の「旅」とは、呼ばない。私はそう思った。旅先で得るものは写真だけで、頭の中からはすぐにふわりと消えてしまう。後に残るのは朧げな思い出だけ。
ラオスにいったい何があるというんですか? その問いの答えは、『何もなかった』。先生は、お土産の品も、何も買ってはいない。
けれど、私は先生のこそ、本当の「旅」だと感じた。それは、旅先の空気に浸ること、旅先の日常の一端に、自分も交じり合うこと。
特別なことをする必要なんてない。その場所でおいしいものを食べ、街中を歩き、人々や街の雰囲気を楽しむ。
『ラオスにいったい何があるというんですか?』を読んで、私はひとつの決意をした。そして、それを実行する。
私は今、京都にいる。大学の京都研修に、応募した。誰もが友人と来ている中、ひとりなのは私だけだ。
京都にはいくつもの名所がある。銀閣寺、金閣寺、伏見稲荷、二条城、清水寺、挙げていけばきりがないくらい。
私が向かうのは、伏見稲荷。けれど、バスに乗って行くわけじゃない。バスに乗って目的地の写真を撮って次の場所に行くのでは、今までと変わらない。
私はホテルから伏見稲荷まで歩いていくことにしたのだ。地図で見たらそれhどでもないように見えるけれど、実際はかなりの距離がある。
徒歩で行くのだというと、清水寺の麓のお土産店の店員のお姉さんには正気を疑うような目で見られた。けれど、私はこれこそが旅の醍醐味だと確信していた。
観光名所の華やかな京都とは一線を画する、人のいない、寂しげな裏通り。けれど、そこには京都の人々の生活の香りがあった。
その空気に浸りながら、私は歩く。時間は伏見稲荷に行って帰るのが精々だろう。他のところに行く時間はない。
いつもの旅とは違って、何も得るものはない。けれど、だからこそ、今までにない充足感が、私の胸中に満ちていくかのようだった。
旅先にて
ボストン近郊でおおよそ二年間生活した後で、情景的に今でも一番深く印象に残っている場所といえば、なんといってもチャールズ河沿いの道路だ。
僕は事情さえ許せば毎日のように、この道を走っていたからだ。この河に沿って続く長い道路が僕のターフだった。
僕が住んでいたケンブリッジの家からこの河までは2キロ近くあり、走っておおよそ十分かかる。
夏には並木がこの遊歩道の路面に、くっきりとした涼しい影を落とす。ボストンの夏は誰が何と言おうとすばらしい季節だ。
でもやがてニューイングランド独特の、短く美しい秋がそれにとってかわる。その頃にはもう、リスたちが冬ごもりのための食料集めに目の色を変えて走り回っている。
ハロウィーンが終わると、このあたりの冬は有能な収税吏のように無口に、そして確実にやってくる。川面を吹き抜ける風は研ぎあげたばかりの鉈のように冷たく、鋭くなってくる。
致命的なのは大雪だ。僕らは走ることをあきらめ、体力を整えながら、新しい春がやってきて氷が溶け、また川縁を走れるようになるのをじっと待つことになる。
それがチャールズ河だ。人々はそこにやってきて、それぞれの流儀で、河をめぐる自分たちの生活を送る。人々はまるで何かにひきつけられるように、この河のほとりに集まってくる。
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