いわゆるエッセイというものを、私はあまり好まない。ことに作家のエッセイというものは。作家や声優といった彼らは、表に出るより、影に黒子と徹するべきではないかと、常々思っていたからである。
昨今、さまざまな職業の人間が顔を出すようになった。塾の講師に、評論家、作家に声優、もはや、タレントという言葉に枠はない。まこと節操のないことである。
中でも私が作家や声優に限っていうのは、彼らが創作した作品というものの裏側に立っているからだ。本人の人格が公衆の前に露わとなるのは、彼らの生みだした芸術そのものをそのまま受け取れなくなるのではないか、と危惧したのである。
声優はなおさらだ。彼らは二次元のキャラクターを演じている。いかに彼らにとっては声を当ててるだけであろうとも、見ている側にとってはその瞬間だけでも、「そのキャラクターは存在している」のだ。
私が好きだったキャラクターの声優がテレビに登場した時、私の胸にあったのは感動ではない。まるで自分の世界を破壊されたかのような、いわゆる幻滅であった。
それは作家に対しても同じである。一時、テレビで羽田圭介先生がよく登場していた時期があった。彼の独特のキャラクター性が大いに受けたのだ。
その時点では、私は何も思っていなかったのだが、最近になって羽田先生の『黒冷水』を読んだ。兄妹同士のある種では変態的とも言える陰湿な争いを描いた作品である。
いかにも凄惨ともいえる作品であったが、読んでいる最中、どうしても頭の中に羽田先生自身の顔が浮かんできて、私はとんと参ってしまった。バラエティでの愉快な彼の振る舞いが、ファクターのひとつとして物語を阻害したのである。
気にし過ぎかと思われるかもしれない。ならば作家や声優は永劫陰に生きろというのかと詰問されれば答えには窮する。とはいえ、どうしても受け入れられなかったのである。
そんな私を嘲笑うかのように、作家でありながら、俳優に声優にと八面六臂の活躍をしている方がいる。それこそ、筒井康隆先生である。
『時をかける少女』がよく知られているが、正統派の青春SF小説はむしろ筒井作品の中では異色だ。彼の真髄は実験的な手法によって書かれた常識に囚われない作品の数々である。
「小説にルールや作法といったものは存在しない。小説とは自由なものである」
その言葉をまさしく体現しているかのような先生はSF小説界隈の巨匠であるにもかかわらず、作品だけでなく、実生活においても、私のイメージの中にある「作家」という存在からかけ離れた人物であった。
大いに呑み、大いに遊び、大いに食う。そして大いに書いている。先生の私生活が書かれているのが、先生自身が日記として書き残している『偽文士日碌』という本であった。
文士という現代には存在しない人物を真似るというパロディである。という建前ではあるものの、その実態は、まあ、日記、あるいはブログのようなものといっていいだろう。
私が作家のエッセイ本を嫌っているのは上述した通りであるが、それでも厄介なのは、見たくない見たくないと願いつつも、ついつい先まで読み進めてしまうことにあろう。
なにせ、面白いのだ。さすが、数々の傑作を世に出している人たちというべきか、筒井先生もその例に漏れない。時にユーモラスに皮肉を綴りながら、日常で感じたことを赤裸々に述べているその作品は、筒井先生の素が見えて楽しい。
いや待て、そもそも私は彼らのエッセイの、そういうところを嫌っていたのではなかったか。ふと我に返ろうとするも、すぐにまた文章の続きに引き戻される。
幅広い活躍をしているからか、『偽文士日碌』にはさまざまな人たちが出てくる。お笑い芸人、女優、作家、家族、知っている名前が出てくると、否が応にも胸が躍る自分がいる。
私はエッセイが嫌いである。巧みな文章で描かれるその姿には、普段は表に出てこない著者の内面が垣間見えるのだ。
彼らの溢れんばかりの人間的魅力は時として、作品の想像に割り込んでくる。だから、私はエッセイが好きではないのだ。
筒井康隆先生の日常
文士のパロディをやってみようと思い始めたのはいつ頃であったか。文士という人物は現代ではパロディでしか存在し得ないから、まさにそれを演じてやろうというのが、パロディの得意な作家としての発想なのだ。
十年前まではさほど意図せずして流行作家のパロディを演じていたように思う。ところが歳をとってきてそのスタイルはあきらかに不似合いとなってきた。
ちょうど十年ほど前から、テレビ・ドラマや映画や芝居で文士とか文化人とかいった役を演じることが多くなってきていた。現実にも文士のパロディをやってやろうという発想はこれらの過程の中から生まれてきたものであろう。
演じ始めてみるとこの文士という衣装はなかなか着心地がよろしい。そんなこんなでこのまま死ぬまでこのスタイルを通すつもりであるから、この日記のタイトルも表記の如きものにしたのである。
ついでだが、「日碌」の「碌」は「碌でもない」の「碌」であり、使い方がちょっとおかしいかもしれないがまあ勘弁してください。
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