私はきっと地獄に落ちるのでしょう。手を合わせて祈りながらも、胸の内では、神の存在を疑っているのだから。神は本当にいるのか。罪悪の甘美に浸りながらも、そんな疑問を、捨てられないでいるのだから。
私の家は熱心な宗教の信徒でした。父も母も疑いなく神を信じ、私もまた、幼い頃から祈りや集会などで宗教と密接に関わってきました。
ですが、親の言葉を聞くたび、信者たちの言葉を聞くたび、私の心の中では疑問が大きく育っていくのです。神はいるのか。私たちが祈りを向けている先にいるのは、何なのか。
ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』では、インテリの次兄イワンと、信心深い三男アレクセイが神の有無についての議論をしました。
神がもしもいるのなら、どうしてこの世から苦難は消えないのか。何の罪もない無垢な子どもが、凄惨な死に様を晒さないといけないのか。それは、誰もが思いながらも決して口にできなかった疑問でしょう。
「キリストが全ての罪を背負ったからこそ人は許され、世界は保たれている」というアレクセイの言葉に、イワンは「神がいなければ全ては許される」と説くのです。
神の存在。私たちが必死になって祈る銅像や、十字架や、絵画。それらがただのガランドウではないのだと、誰が教えてくれるのでしょう。
もしも神がいるのなら、『ファウスト』の偉大な主が、熱心な信徒であるファウストに試練としてメフィストフェレスを嗾けたように、彼らは自分たちの価値観のもとに残酷なのではないでしょうか。救いを与えるのと同じように、私たちを苦しめているのもまた、神なのではないでしょうか。
「神は死んだ」と言ったのはニーチェでした。もはや、近代化が進行した現代において、人々の価値観の底に宗教があった時代は終わった。地動説が常識となり、進化論が当然となった。宗教の代わりに「科学」こそが、新たな宗教となっている。
一部の宗教の苛烈な活動によって、宗教そのものが地に堕とされてしまった。教室で私に向けられている視線と同じように、宗教は、腫れ物のように触れがたい、不気味なものとなっている。
今村夏子先生の『星の子』に描かれているような、宗教への冷たい世間の目。それこそが、現代の宗教に対する視線なのでしょう。
神は幻想となり、宗教は政治的な道具となり、宗教家は詐欺師になってしまった。いや、思えばキリスト教が政治と絡まり合ったその時からすでに、宗教は本来あるべきだった道を外れたのかもしれません。
ですが一方で、神がいるにしてもいないにしても、宗教は必要だと、私は思うのです。神が信じられない社会になったとしても。
宗教は誰のためにあったか。政治の道具でもなく、洗脳の道具でもなく、本来の宗教の本質は、苦しむ人々の心を救うところにありました。どんな宗教であったとしても、どんなに歪められたとしても、その本質だけは違えてはいないのです。
生きるのは苦痛に満ちています。この世はイワンが言ったように、決して優しい、愛に満ちた世界ではない。私たちは傷つき、血を流しながら生きている。
そんな中でも、倒れそうな彼らを心の奥で支えてくれるもの。そのためにこそ、宗教はあるのだと思うのです。どんな教え、どんな神であったとしても。
神はいない。でも宗教は必要。そんな私は、かつて宗教を道具にした人たちと何も変わらないのかもしれません。ただ、たとえ罪深くあろうとも、私はこの疑問をずっと抱えて生きていくのでしょう。
全てを兼ね揃えた未完の傑作
アレクセイ・カラマーゾフは、この郡の地主フョードル・カラマーゾフの三男として生まれた。父親のフョードルは、今からちょうど十三年前に悲劇的な謎の死をとげ、当時はかなり名の知られた人物だった。
今はとりあえず、こう述べるにとどめよう。つまり、一風変わった、ただしあちこちで頻繁に出くわすタイプ、ろくでもない女たらしであるばかりか分別がないタイプ、といって財産上のこまごまとした問題だけは実に手際よく処理する能力に長け、それ以外に能がなさそうな男だと。
彼は二度結婚し、三人の子どもをもうけた。長男のドミートリ―は最初の妻とのあいだに生まれた子どもで、残りの二人、すなわりイワンとアレクセイは二度目の妻とのあいだに生まれた。
フョードルの最初の妻、アデライーダは、かなりの資産家でこの土地の地主でもあった名門貴族ミウーソフ家の出身だった。
で、二人の愛情についていえば、花嫁の側にも、またアデライーダの美貌にもかかわらず花婿のほうにも、それらしきものはまったく芽生えなかったらしい。
彼ら夫婦のあいだでは、、つかみ合いの喧嘩もまれではなかったが、漏れ聞く話では拳を振り上げるのはフョードルではなく、アデライーダのほうだったという。
こうして、彼女はとうとう屋敷を捨て、三歳になる子どものミーチャをフョードルの手に残したまま、ひどい貧乏で死にかけていた神学校出の教師と手に手をとって、夫のもとから逃げ出す羽目になった。
まもなく彼は、ついに逃げた女房の足どりを突き止めることができた。ペテルブルグにいて、神学校出の教師ともども首都に流れ着いてから、なんの気兼ねも無用とばかりに完全な解放の生活に浸った。
ペテルブルグにいる妻が亡くなったという知らせが彼女の実家に入ったのは、まさにそのときだった。妻の訃報に接したフョードルは通りに駆け出し、嬉しさのあまり両手を天に差し出しながら、「今こそあなたはこの僕を安らかに去らせてくださいます」と叫び出したという。
それがどんな悪党でも、わたしたちが一概にこうと決めつけるよりはるかに素朴で純真である。わたしたち自身からしてそうではないか。
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