トザイトウザイ、一座、高うはござりまするが、不弁舌な口上な持って、申し上げ奉ります……。従いまして、従いまして、かくも賑々しくご見物の皆様、お集まりくだされ、篤く御礼申し上げ奉りまする。
サテこの度演じまするは、『化け者心中』。時は文政、処は江戸。一座にて今宵も役者という名の化け物が、舞台の上で互いに互いを喰らい合い。
江戸でも人気の芝居小屋、中村屋にて巻き起こったひとつの事件。薄暗闇の中に役者六人。読み合わせをしておりましたところ、真ん中に落ちたるは、オオ恐ろしや誰かわからぬ人の首。
ところが灯りをつけてみると、そこには六人全員いる。ハテそんなはずはない。ならばあの首は誰というのか。後に残されたるは凄惨な凶行の跡と深い謎ばかり。
中村屋の名物役者六人。その中にひとり、鬼がいる。六人が六人とも、平生と変わらぬ口や態度や。誰が鬼で、誰を喰ろうて成り変わったか。
あわや鬼退治に駆り出されたるは二人。心優しき初心な鳥屋の藤九郎に、足を切られて舞台から降りた元名上方役者の女形、白魚屋、魚之助でござります。
彼らの前に晒して並べ立てられたるは役者の業。嫉妬妄念狂気なんでもござれの人間市場。人間の心というものは、なんと醜いものでありんしょう。
鬼か、人か。男か、女か。役者か、否か。サテ今宵の役柄は同心の役のようで。下手人の鬼とやらは何処へとあるか。
舞台上の狂気に身を委ねる者あり。境遇の不幸に嘆く者あり。我が身の未熟さに苦しむ者あり。恋の病に侵さるる者あり。妬心に塗れて堕ちる者あり。
渡る世間は鬼ばかりや。鬼より恐ろし化け物どもめ。舞台の上で身をくゆらせて、愛憎溢れた劇より不気味な人間模様。
世に「鬼」とは申しますけれども、人間というものは時として、鬼より何より怖ろしい。なんでこいつらにゃあ角が生えていないんだい。
お前が鬼か。いや俺はちげぇさ。俺が鬼だよ。いやお前は違うだろう。彼が鬼というのはどうだ。いやそれは芸がなかろうに。
喧々囂々の疑心暗鬼。影は役者同士の溝とともに深まっていくばかり。騙し合い化かし合う役者どもはさながら狐狸の如し。
エェ、口上もいよいよ終わりでござりまする。あとは皆々様方ご自身の目で楽しまれては。よきところは拍手エイトウエイトウの御喝采。七重の膝を八重に折り、隅から隅までズズズイットウ……御お願い申し上げ奉りまする……。
鬼は誰か?
ときは文政、ところは江戸。夏の暑さも少しばかり落ち着いてきた長月の朝早く、橘町の大通りで猫を追いかける藤九郎の腹はふつふつと煮えている。
いってえどうしてこの俺が、猫の尻相手に喧嘩を売る羽目になっちまってんだ。半刻前の己とは月とすっぽん、雲泥万里。なにせ好いた女子の唇にちゅっとやる目前だったのだ!
あのとき、神社裏手のどぶ板を踏み締めて、好いた女子、おみよの肩を正面からしっかと掴んだ藤九郎が、紅の引かれた唇に自分のものを重ね合わそうとしたそのときだ。
ねうねう。
「ああ、ほら、信さん。見つけたよっ」
「あいつは通りすがりの野良猫だよ。俺の着物についた匂いに興奮しちまって、それであんなに鳴いてるだけなんだ。ほら、猫ってのは鳥が大好物だからさ」
「とぼけたって無駄だよ。ここいらで三毛の金目銀目といえばあの人の飼い猫、揚巻でしかありえないもの」
飼い猫ってのはやっぱり主人に似るんだねぇ、とその姿を目にしたおみよがよく口にする。揚巻が現れた時点で藤九郎はいつもと同じく、素直に諦めるべきだったのだ。諦めて、この言葉を言ってやらなければならなかったのだ。
「……今日はあの人の、なにを見てくりゃあいいんだい」
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