豪奢なフランスの宮殿で巻き起こる殺人事件『ヴェルサイユ宮の聖殺人』宮園ありあ


「で、誰が犯人だと思います?」「あの方ではありませんの?」「あら、わたくしはそれには反対ですわね」「わたくしもですわ。犯人はあの方に決まっているじゃありませんか」

 

今、宮廷では一冊の小説が流行っているようで。豪奢なドレスに身を纏った貴婦人方が集まっては、その内容について議論を繰り広げております。

 

その本の表題は『ヴェルサイユ宮の聖殺人』というものでして、なんと、国王であらせられるルイ16世様や王妃マリー・アントワネット様までもが物語に登場しているのです。

 

なんと不遜な、と誰もが慄いておりましたが、本人たちは思いのほか気に入っているようで、流行にひと役買っているようです。とはいえ、王妃様は夫である国王様の扱いには苦い表情をしておられましたけれども。

 

貴族様方の話題はもっぱら、「犯人は誰か」というもの。まだ読んでいる途中の方たちは真剣にご自身の考えを述べて、すでに読み終わった方たちはその意見に笑みを隠しながら「どうでしょうねぇ」と嘯く。そんな光景が昨今の宮廷では繰り広げられております。

 

物語は、王妃様の元総女官長であり、国王様のいとこでもあるマリー・アメリー様が、宮殿内のご自身のアパルトマンでひとりの遺体を発見するところから始まります。

 

彼の名はブリュネルといって、パリ・オペラ座の演出家です。容疑者として捕まったのは、同じ部屋で気を失っていたボーフランシュ中尉ジャン=ジャックでした。

 

しかし、マリー様は事件現場の様子から彼は犯人ではないと見抜かれ、ボーフランシュ中尉を引き連れて、事件の解決に乗り出します。

 

事件現場に残された多くの謎。果たして、ブリュネルは誰に命を奪われたのか。鍵を握るのは、彼が最期の瞬間に手にしていた聖書と、現場に残されたメッセージ……。

 

「で、どうです。お二人の関係はどうなると思いますか?」「それはもちろん」「いえ、身分が違いすぎますわ」「だからいいんじゃないですか」

 

また、ご婦人方の噂の的はもうひとつあるようで。それはもちろん、恋愛。マリー様とボーフランシュ中尉の関係がこの先どうなるのか、という話題でございます。

 

国王様のいとこという高貴な血筋で、貴族の型に囚われない逞しさを持つマリー様と、実直ながらもお貴族様が嫌いなボーフランシュ中尉。

 

最初は反発していたものの、少しずつ打ち解けてきて、だんだんと相棒のようになっていくお二人の関係に、ご婦人方は少女のようにはしゃぎながら話し合っております。

 

かく言う私も、彼らの関係に胸を躍らせながら読んでいました。ミステリ小説なんて貴族の読み物ではないと思っておりましたけれど、なるほど読んでみるとこんなにも面白いとは。

 

それにしても、なんて細に渡るまでの描写でありましょう。きっとこの作者様は宮廷に入っても疑われない高貴な身分の方に違いありません。実際にその目で見ていないと、まるで目の前にあるように描くことなんてできませんもの。

 

ああ、早く続きが読みたいものですわ。普段ならば聞き惚れる美しい音楽も、今だけはどこか上の空で、私は物語に想いを馳せておりました。

 

 

ヴェルサイユ宮殿で起こった事件の真実

 

今朝は靄がかかって遠景はぼんやりとしていたが、それでも空は青く雲の欠片も見当たらず、日の入り前に揚陸作戦は終了するとボーフランシュ中尉ジャン=ジャックをはじめ、誰もが思っていた。

 

アメリカ独立戦争が勃発して、既に六年が経過していた。ニ十隻の戦列艦と三隻のフリゲート艦を含む百二十隻で構成されたグラース伯爵フランス海軍提督の艦隊は、チェサピーク湾に到着し、直ちに部隊の揚陸作戦が開始された。

 

見張り番が沖の水平線に帆柱を見つけた時はまだよかった。フランス軍バラス艦隊の援軍に違いないと疑わなかったからだ。だがそれは、イギリス海軍のグレーヴズとフッド提督の艦隊だった。

 

艦隊前衛を指揮するブーガンヴィルの乗艦〈オーギュスト号〉が、敵艦と最初に接触し、戦闘の火蓋は切られた。

 

「くそっ! なぜこんな事になったんだ!」

 

思わず漏れた悪態に、同感だと頷きながら銃を構えた隣の士官が、同じく銃を構えたジャン=ジャックの顔を一瞥した。

 

イギリス海軍の砲弾が、雷鳴のように轟き、〈オーギュスト号〉の左舷を貫いた。船底から伝う地鳴りのような振動は、士官、水兵らを容赦なく甲板へと叩きつけた。

 

さながら、辺り一面は地獄絵だった。業火に炙られた左頬と左腕が焼けつくように熱い。見遣ると、軍服の左袖は焼けて、剥き出しの皮膚はところどころ焼け爛れていた。

 

立ち上がったジャン=ジャックの足元に、俯せに倒れたひとりの兵士の指先が触れた。呻き声を上げる兵士の背を右手だけで抱き上げると、声を張り上げた。「おい、しっかりしろ、大丈夫か!」

 

「……この艦は狙わない約束だった……はず……」

 

「なんだと? 今なんと言った!」

 

「……が」

 

がっくりと頭を垂れて兵士は息絶えた。すでに屍となった兵士の身体を揺すったが、当然のように返答はなかった。再び敵艦から砲弾が斉射され、そこでジャン=ジャックの意識は途絶えた。

 

 

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