手に汗握る暗号サスペンス『パズル・パレス』ダン・ブラウン


何もかもがデジタルとなっていく中で、私はどうにも、不安を隠せないでいる。それはとても便利なものであることは、疑いようもない。しかし、私たちはその実態を、何も知らないままなのだ。

 

「情報」というものは一匹の巨大な怪物のようなものである。それは日々流動する身体を膨らませ、ぶくぶくと肥えていく。しかし実のところ、その身体を紐解いてみれば、0と1だけの集合体である。

 

私がもしも悪しき心の持ち主ならば、今の世の中を支配しているその怪物を、決して野放しにしない。そこには、富も人も支配できる宝物庫だからだ。

 

もちろん、その情報が強固なセキュリティで守られているのであろうと、私たちは信じ込んでいる。だが一方で、個人情報の流出という言葉を度々耳にすることもまた事実。

 

それでも、人々の根底にある情報への狂信はなくならない。それが便利だから。理由はそれだけである。だが、それだけの理由で「情報」は、従来のあらゆる世界を塗り替えたのだ。

 

情報は強固な門番によって守られている。ならば、その門番はいったい誰が見張るのか。そのような意味の言葉を、どこかで耳にして、それがずっと頭に引っかかっている。

 

ああ、そうだ、ダン・ブラウン先生の『パズル・パレス』に、そんな言葉が出てきた。先生のデビュー作なだけあって、歴史の謎解きが主軸となる『ダ・ヴィンチ・コード』とはまた違う面白さがあった。

 

仕事のない休日、「アメリカ国家安全保障局」の暗号解読課主任のスーザンは、副局長のストラスモアに突如呼び出される。その用件は、驚くべきものだった。

 

「解けない暗号はない」と言われた暗号解読課の切り札、スーパーコンピュータの「トランスレータ」が、ひとつの暗号を解除できなかったのだ。

 

それは、かつて暗号解読課に勤めていたタンカドが作り出した「デジタル・フォートレス」と呼ばれる暗号化技術である。

 

この暗号が世間に出回ることになれば、「トランスレータ」はまったくの無力となり、情報を得ることで未然に犯罪を防ぐことが不可能になってしまう。

 

タンカドは「デジタル・フォートレス」のパス・キーを協力者に預けたという。スーザンはその協力者の正体を突き止めなくてはならない。

 

一方、スーザンの恋人の大学教授、ベッカーもまた、別の仕事をストラスモアから託されていた。それは、心臓麻痺で命を落としたタンカドの遺品を回収すること。しかし、彼の跡を追う怪しい人影があった。

 

私はこの物語を楽しく読ませてもらったが、しかし、主人公の側に没入することはできなかった。というのも、私はどちらかというと、彼らと敵対しているタンカドと同じ考え方を持っていたからだ。

 

世の中はデジタル化に向かって進んでいる。コロナ禍がそれに拍車をかけた。リモートワークやオンラインの利便性を知り、キャッシュレス決済が主流となってきている。

 

今や、多くのものがインターネットというものの上でやりとりされるようになった。お金すらも、もはやデスクトップに映る数字上のものとなっている。

 

たしかに、それは便利だろう。だが一方で、私は恐ろしく感じる。ありとあらゆる物事がデジタル化していくということは、それらの情報を統括している存在に自分自身を明け渡してしまうことと同義ではないか、と。

 

私たちの個人情報は企業が握っている。だが、その企業を動かし、私たちのデータを管理しているのは「人間」なのだ。必ずしも善人とは限らない。彼らにもしも、魔が差してしまったならば、果たしてどうなるのか。

 

『サマーウォーズ』という作品を思い出す。交通や個人情報や、ありとあらゆる情報がデジタル化された世界が、一匹のコンピュータウイルスによって大混乱に陥る。それはもはや、SFの世界ではなくなっているのかもしれない。

 

情報をデジタルにすると、管理が簡単になる。情報を統制する彼らにとっては、今のデジタル化はそれだけのことだ。今や、社会にとって私たちはただの数字のひとつでしかなくなってしまっている。そこには一切の情はない。

 

いくら危惧していても、このデジタル化の波を止めることはできないだろう。だが、その流れに身を任せる前に、自分の情報を明け渡して何が起こる可能性があるか、その未来に、思いを馳せてみるべきかもしれない。

 

 

解読不可能な暗号

 

ふたりはグレート・スモーキー山脈にあるお気に入りのベッド・アンド・ブレックファストにいる。デイヴィッドが微笑みかける。「どうだい、すてきだろう? 結婚しようよ」

 

天蓋付きのベッドで見つめ返し、この人しかいないと確信する。永遠に変わるまい。濃い緑の瞳に見入ったその時、遠くでけたたましいベルの音が鳴った。

 

スーザン・フレッチャーを夢から引きずり出したのは、電話の音だった。喘ぎながらベッドで身体を起こし、受話器を手で探る。「もしもし」

 

「やあ、デイヴィッドだ。起こしてしまったかな」

 

スーザンは顔をほころばせ、また寝ころがった。「あなたの夢を見てたところなの。早く来て」

 

デイヴィッドが落胆のため息をついた。「それで電話したんだよ。旅行の件で。延期しなくちゃいけないんだ」

 

一瞬にしてスーザンの眠気が吹っ飛んだ。「なんですって!」

 

「すまない。町を離れることになってね。明日には戻る。今は話す暇がないんだ。車を待たせていてね。飛行機に乗ったら、電話で全部説明するよ」

 

「飛行機」スーザンは言った。「何があったの? 大学がどうして……」

 

「大学は関係ない。あとで電話して説明する。さあ、もう行かなきゃ。僕を呼んでる。連絡するよ。絶対に」

 

「デイヴィッド! 何が――」

 

けれども、遅かった。電話はすでに切れていた。スーザンはそのまま何時間も待った。電話は鳴らなかった。

 

 

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