我らの創造主は、生物のひとつひとつを完成された種族として生み出した。それがキリスト教における巨大な屋台骨であった。それが今、大きく揺るがされんとしている。
事の発端は、とある一冊の本である。自然科学者のチャールズ・ダーウィン氏が出したこの一冊が、今や世界全てを震撼させていた。
その名を『種の起源』という。氏はその本の中で、キリスト教の掲げる常識を、根底から覆すことを綴ったのだ。
曰く、生物は果てしなく長い時間を経て、今の姿に変化してきたものである、と。それは、生物が完成された種族として主に生み出されたというキリスト教教義に真っ向から反抗している。
当然、キリスト教からすれば当然看過されるものではない。そのあまりにも荒唐無稽かつ常識外れな論に、教徒たちは憤怒に染まり、自然科学者たちもこぞって反論した。
巷には猿の身体を持ったダーウィンの戯画がばら撒かれ、揶揄されている。彼の論によれば、人間は猿から変化した、というものだからである。
もちろん、キリスト教徒たる私にとっても、到底信じられる話ではない。しかし、彼を苛烈に批判しながらも、心の中には一抹の不安の雲がよぎっていた。
自然淘汰。それこそが『種の起源』における骨子である。環境の変化に適応できる種だけが生き残り、適応できない種は滅びる。それが繰り返されることで、生物は現在の形になっていった。
彼はその論を、数多くの生物を観察し、検証することで成り立たせている。読むだけでも、それが長い時を費やされた彼の努力の集大成なのだと見てとれた。
反論はいくらでもある。同志や自然科学者たちは嬉々としてその穴を穿った。しかし、論には揺らぎがない。というのも、本の中でまさしく、その反論はすでに為されているからだ。
文中では、しばしば「時間がない」「余白がない」と言っている。同志たちはそれを、反論できないがゆえの、ただの言い訳だと捉えていた。しかし、もしもそうでないとしたら?
彼の論は未完成だ。だからこそ、彼は批判も当然として受け入れている。だが、未完成だということは、彼の論にはまだ先があるということである。
いずれ、私たちの信じている常識が覆され、彼の提唱する説こそが真実なのだと、言われる時がくるのではなかろうか。そのことが私にはたまらなく恐ろしい。
彼の提唱する自然淘汰。そこには何の意思もない。ただ機械的な自然の仕組みがあるだけだ。それは鉄のように冷たく、慈悲がない。
その論が正しいとすれば、我々人間は、猿から進化しただけの、自然に暮らす他の獣と同じだということになってしまう。我々は神を真似て生み出された特別な種ではなく、取るに足らぬ一獣でしかないのだと。
ダーウィンの戯画を見つめる。滑稽に描かれた猿の身体に乗ったダーウィンの顔。それが一瞬、私自身の顔に見えて、思わず目を見開いた。次の瞬間には、顔はすでに元に戻っている。
私は首を振った。杞憂に過ぎない。『種の起源』のような本が、社会に受け入れられるわけがないのだ。キリスト教こそが、世界の真実を写すことができるのだから。
主よ、我らを守りたまえ。我らを生み出し神よ、どうかお答えを。我らは言葉を話す猿などでは、ありませんよね?
返事はなかった。
自然淘汰
かつて私は、ナチュラリストとして軍艦ビークル号に乗船していた。そのとき、南アメリカにおいて、生物の分布と、その大陸における過去と現在の生物との時間を超えた関係にとても驚かされた。
そこで見た事実は、さる偉大な哲学者が「謎の中の謎」と呼んだ「種の起源」を解明するうえで、何らかの光明をもたらすのではないかと思えた。
それから五年間の研究を重ねた時点で、そろそろそれまでの考察をまとめてもよい頃だと判断した。そこでいくつかの断章を書き上げ、そこそこ納得できるひとつの結論にまとめ上げた。
本書はあくまでも要約であり、したがって当然ながら不完全なものである。記述に関して、いちいち参考文献や出典をあげることもできない。私が間違っていないことは、読者に信頼してもらうしかない。
そういうわけで本書では、自ら到達した一般的な結論を、いくらかの説明的事実を添えて提出することしかできない。しかし大きな間違いはないだろうと思っている。
種と変種の起源に関して未だ説明できないことはあまりにも多い。しかし、身の回りに生息する生物すべてについて、それら相互の関係をわれわれはいかに知らないかということを考えてみてほしい。
個々の生物種は創造主によって個別に創造されたという創造説の見解は、大半のナチュラリストが受け入れ、私自身もかつては受け入れていたが、明らかに誤っているという結論である。
種は不変ではない。同じ種の変種とされているものは、その種の子孫である。それと同様に、同じ属とされている種は、他の、たいがいは絶滅している種の直系の子孫なのである。
さらには、「自然淘汰」は生物種に変更をもたらす、唯一ではないが主要な手段である。私はそう確信している。
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