人と海の親密さ『海を渡った人類の遥かな歴史』ブライアン・フェイガン


 空が見える。空はどこまでも広がっている。海は空を映したのだという。だが、僕は逆だと思う。空が海を映しているのだ、と。

 

 

 小舟の上に、僕は仰向けに寝そべっていた。波の揺れを肌に感じる。最初は気分が悪くなっていたその揺れも、今ではすっかり慣れてしまった。

 

 

 僕がたったひとりで海に出るようなことをしたのは、ブライアン・フェイガン先生の『海を渡った人類の遥かな歴史』を読んだからだった。

 

 

 大航海時代。ヨーロッパの人々が海に出て、世界中を開拓していった。コロンブス。マゼラン。多くの男たちの手によって、世界地図は白から青く染められていった。

 

 

 しかし、それよりも遥か昔から、人類はすでに海へと出ていたのだ。ライト兄弟が初めて空へと旅立つずっと前から、海の上には舟が浮かんでいたのである。

 

 

 果てのない水平線の先にあるロマン。めくるめく冒険。誰も見たことがない新世界。

 

 

 そんなものは幻想でしかない。その本は、そのことを教えてくれた。

 

 

 古代の人々は海に親しみ、遠洋への旅立ちはあくまでも日常の船出の延長でしかなかった。彼らにとっては、海への旅は冒険でもなんでもなかったのだ。

 

 

 現代を生きる僕たちが水平線に抱くロマンの代償として失ったもの。それは、海に対する敬意と親しみ、そして実践に基づく知識。

 

 

 彼らは今の人たちよりも遥かに、海のことを知っていた。ネットで調べれば出てくる表面上の知識なんかじゃなく、海に触れ、友となることで、知ったのだ。

 

 

 海がロマンとなってしまったのはなぜか。それは、僕たちが自ら海から距離を取るようになったからだ。

 

 

 日常だった海がいつしか、遠くなってしまった。ずっと昔に、僕たちは海と決別してしまった。

 

 

 僕は海が好きだった。海の波に耳を澄まして、水平線をじっと見つめているのが好きだった。

 

 

 だから、古代の人たちが羨ましくて仕方がなかった。海と親しんでいた彼らが。僕が航海に出たのは、そういうわけだ。

 

 

 波に揺られる舟に寝そべって目を閉じていると、まるで僕自身が海と一体になったかのように感じて嬉しくなった。

 

 

 風邪の向き。海に棲む魚たちの習性。潮の匂い。波の方向。知識としては学ぶことはできても、ネットの文字だけでは決して感じられないリアルがそこにはある。

 

 

 ロマンなんて必要ない。憧れなんて抱いていても、いつまで経っても近くにはいけないのだ。近づきたいなら、手を伸ばさないと。

 

 

 冒険ではないのだ。それは近くにある。触れようと思えば、指先が沈む。それは僕の足もとに押し寄せるものであって、手を伸ばしても届かない空なんかよりもずっとそばにいてくれる。

 

 

 海とひとつになる。波のように揺れ、魚のように泳ぎ、潮のように遊び、時に荒れ、時には凪いで、誰にも縛られることはない。

 

 

 やがて僕の意識は沈み込んでいくように消えていった。ああ、ようやく、ようやくひとつになれる。僕は幸せだった。

 

 

 海には遥かな歴史が眠っている。人類も、動物も、海は何もかもを受け入れてくれる。触れて初めて、僕は焦がれていたものを知ることができるのだろう。

 

 

人はなぜ海に出たのか

 

 八歳の頃、私はイギリス海峡で帆走の仕方を学んだ。今から七十年は昔のことだ。

 

 

 乗っていたのは色褪せた茶色の帆がある重い漁船だった。風が止むと、絶ってオールで漕いだ。

 

 

 エンジンもなければ、電子機器もなかったが、地元の海を隅々まで知り尽くしていた船長とともに、我々は出かけた。

 

 

 この最初の師匠のもとでの帆走体験は、ヴィクトリア朝時代の業務用小型船に後戻りすることだった。オールと帆で生計を立てていた時代である。

 

 

 我々が何よりも学んだことは、海を把握し、その時々の状況を察知する感覚であり、警戒と敬意の入り交じった思いで海を見る方法だった。それは忘れられない経験となった。

 

 

 本書は、私の航海人生に端を発するものだ。何十年もの間、なんとか順調に、安全に船旅を終えようと苦慮するなかで遭遇してきた、数々の冒険やハプニングからである。

 

 

 海に出る度に、その背景には過去が潜んでいた。その過去を見ると、私の中の考古学者としての側面が頭をもたげる。

 

 

 私は考古学を生業としている。古代の人間社会が果てしなく長い年月の間に変化し発展していった過程を、同僚とともに研究してきた。

 

 

 本書は海難事故や造船技術に関する物語ではない。ここで語られる物語は、歴史の背景の一部となってきたもっと昔の、たいがいは読み書きのできない、名もない人々の世界だ。

 

 

 かといって、後世に意図的な沖乗り航海が始まる遥か以前に、最初に海に乗り出したのが誰なのかを追求するつもりはない。

 

 

 ここで問題にしているのは意図的な海上の旅なのである。人々はなぜ海に出たのか。日々の暮らしの一部としてなぜパドルやオールで漕ぎ、帆を揚げるようになったのだろうか?

 

 

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