名の刻まれた墓石を見下ろして、俺は思わずため息をついた。もう二度と会えなくなってしまった友人の影は、今も俺の周りにまとわりついている。彼を追いやった者は一体何だったのか、その正体は。
少し前、コロナ流行が本格的になった頃のことだ。ネット上で「自粛警察」なるものが騒がれていたことがあった。
遠くまで出かけたりマスクをしていなかったりしている人たちを「自粛しろ!」とネットで叩き続ける人たちのことを総称してそう呼ぶ。
当時はとにかくコロナに対して過敏な時期で、コロナ感染者やその近親者に対する露骨な差別や、県外に出かけている他県ナンバーの車への制裁などの事件が相次いでいる時期だった。
彼らが正しいか、と言われれば、そうなのかもしれない。感染症の拡大を防ぐために自粛する、というのは、間違っていない。
だが、彼らの正義の木槌によって精神的社会的に追い込まれ、命まで奪われてしまった俺の友人を見ていた俺からしてみれば、彼らを認めることはどうしてもできなかった。
いったい、この国は何なのだ。俺の友人は、それほどまでに悪いことをしたのか。正義感に酔いしれたままその木槌を振り上げて人の命を奪う彼らは、いったい何だ。
その当時は、いったい何に対して怒りを抱けばいいのかすら、わからなかった。どうしたらいいのかわからなくて、コロナについての本を読み漁っていた。
その中の一冊で、今でも覚えているものがある。『正義を振りかざす「極端な人」の正体』というタイトルだ。
ネットでの炎上。誹謗中傷。芸能人はしばしばその対象になり、最近では、一般人もネットの投稿などで被害に遭うようになった。
ネットで飛び交う罵詈雑言を見ると、いかにも大事件が起こっているかのよう。その大半は大したことがないようなことばかりなのに、とてもそうは思えないほどの大きな騒ぎになっていく。
その本には、その実態が書かれていた。すなわち、その大規模な大事件にも思える炎上は、ごく少数の人間によって引き起こされているものにすぎないのだ、ということ。
火付け役がいるのだ。それは数人だったり、時にはひとりだけのこともある。ひとりがたくさんのアカウントで複数いるように見せかけていることすらある。
まず、彼らが石を投じるのだ。怒りに任せた一投を。だが、そこに追従する人たちがいる。それもまた、ほんの数人しかいない。
ネット上の多くは、自分の意見すら持っていない。だが、そんな人たちが石を投げ、それに追従した彼らに同調する。本当に炎上を広げているのは、彼らだ。
つまり、ネット炎上にはその実、中身がない。その意見を本当に持っているのは一握り。残りは、ただ追従しているだけの、空っぽな大衆だ。
最初に石を投じた人。これこそが、タイトルにも書かれている「極端な人」だ。彼らは声が大きく、主張が偏っている。だからこそ、拮抗している天秤のバランスを、自分の望む方へと傾けることができる。
俺の友人は、何も中身のない大衆に、「社会」によって命を奪われた。そう知った時、俺はもう、何も信じられなくなった。
「正義」という言葉の、なんて身勝手なものだろう。それはひとつの側面から見たものでしかない。何が正しくて、何が間違っているのか、誰も何もわかっちゃいないのに。
最近は、コロナも落ち着いてきて、みんなそれなりに出かけている。マスクをしていない人もしばしば見かける。自粛警察も、コロナ差別も、いつの間にか聞かなくなった。
それでも、俺の友人はもう、二度と帰ってこない。あの騒ぎは、いったい何だったのだろうと思う。俺の友人は、何のために、命まで失わなければならなかったのだろう。
生きにくい社会
「最近社会が不寛容になった」「ネットは攻撃的な人が多く、怖いところだ」あなたは、このように思ったことはないだろうか。
そこかしこに「極端な人」が存在し、時にSNS上の誹謗中傷投稿者として、時に不謹慎狩りを行う人として、時にネット炎上に加担する人として、時にクレーマーとしてその力をふるっているように見える。
その影響は甚大だ。さまざまな人が「極端な人」によってネガティブな影響を受けている。さらに、「極端な人」が力をふるっている空間では、普通の人は表現することそのものをためらわざるを得ない。
そして、社会に「極端な人」ばかりがあふれ、社会が不寛容になると、やがて社会の分断が引き起こされていることが指摘されている。
いったいこの「極端な人」たちは何者なのか。なぜこれほど社会に大きな影響力を持つようになったのか。自分が「極端な人」にならないためにはどうすればいいのだろうか。
本書は、「極端な人たちがいる社会が生きにくい」と感じている人、「自分も極端な人になるかも」と心配している人、そういう方たちに、何らかの答えを出すことを目的としている。
このように感じている人には、是非本書をお読みいただき、ネット社会の実態を知ったうえで、今後自分はどうすればいいのか、参考にしていただければ幸いである。
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