人生は面白い。ほんの些細な日常の中にだって、いくつものドラマが溢れている。あの頃の私は、そんなことにすら気が付いていなかった。
スマホの画面を指で流して、物語を目で追っていく。最近、ハマっている携帯小説だ。
望月麻衣先生の『天使シリーズ』。その中の、『天使の竪琴』を読んでいた。本編自体は『天使の黙示録』で完結していて、これはその後の番外編みたいな感じ。
読み終わって、ほうと息をつく。物語の世界には憧れる。そこには、こんんあにも美しくて、素敵な出来事が描かれている。
現実ではこうはいかない。現実は過酷で、非情で、容赦がない。夢なんて叶わないし、毎日が単調でつまらない。色がない、灰色だ。
マンションでぶつかってからイケメンとの恋が始まることなんてありえないし、実は大富豪の隠し子だった、なんてこともない。
現実ではそんなことなんて起こらない。物語の中でしか、そんなことはありえないのだ。
私の人生はまさしく平凡なもの。普通の家庭で、普通に愛され、そして今の私は普通の会社員として働いている。もちろん、普通が悪いというわけじゃないけれど。
単調で、つまらない。そんな人生。自分の過去を思い出そうとしても、何も出てこない。
だから、私は物語を読むのだ。そこには、憧れた世界があるから。ご都合主義で、現実味がなく、荒唐無稽な、だからこそ、美しい。そんな世界が。
人生はひとつの物語
私が小説を書き始めたのは、小学生の頃だ。初めて書いた作品のことは、あまり話したくはない。今でも思い出すと赤面する。あまりにも稚拙なものだった。
けれど、思えば、あの頃に書いていた作品は本当に楽しく書いていたように思う。まるで幼い子どものような。
絶対に負けない、最高にかっこいい主人公。ファンタジックで、夢想的で、あまりにもご都合主義。正義は勝ち、悪は滅びる。
恋愛を書くようになったのは、高校生の頃からだろうか。
イケメンとドラマチックな出会いをして、恋敵に嫌がらせされても、最後には彼と一緒になる。
主人公は平凡な女の子。特別かわいいわけじゃなくて、きれいなわけでもない。でも、イケメンはいつも彼女のことを好きになる。
物語ではよく見るような、ありふれた設定。でも、たったそれだけでも、現実では起こらない。
美男子は美女と恋愛をする。外見よりも中身、なんて口では言っていても、容姿は決して無視できない要素だろう。女の子ならなおさら。
物語に描かれているきれいな「理想」と、ご都合主義なんて何もない「現実」の間には大きな壁がある。
それが偽物だと知っているからこそ、物語は魅力的なのだ。現実に、ドラマチックなことなんて、絶対にない。
「あ、それ、『天使シリーズ』?」
不意にかけられた声に、私は思わずびくっと肩を揺らした。振り向くと、片手に缶コーヒーを持った男性が立っている。
彼の顔を見て、思い出した。会社でたまに見かける人だった。イケメンで、人当たりもいいから、女性社員の中で話題になっていた。
「おもしろいよね、それ」
屈託もなく話しかけてくる彼に、そうですね、と返す。声は震えていないだろうか。不安になる。そんな私を尻目に、彼は、あ、そうだ、と思いついたように言う。
「これ、よかったらもらってくれる? 間違えて買っちゃってさ」
彼が缶コーヒーを渡してきた。あ、ありがとうございます。私がお礼を言うと、彼はにっこり笑って、それじゃあ、と去っていった。
私はコーヒーを手に持ったまま、ぽかんとする。会社で何の関係もなかったイケメンの社員に話しかけられる。これは、ドラマチックに入るのだろうか。
ここから、私と彼の物語は始まったのだった、なんて。次の小説はオフィス恋愛ものにしようかな。
人生は物語だ。どんなに平凡な人だって、自分の人生の主人公。ドラマは意外と、現実でも起こるのかもしれない。
誰にだってドラマは起こる
人生はドラマで満ち溢れている。
野々山りおは、お気に入りのオープンカフェでほんの少し甘いカフェオレを飲みながら、何気なく周囲を見回した。
隣のカップルにちらりと目を向ける。たぶん、交際して間もない二人。近すぎない距離感に緊張が見られる。文字通り『初々しい二人』。
そこまでは進んでいないだろう。彼女を送った帰りの車の中で、そっとキスくらいはしたのかもしれない。りおは自分の想像に笑みを浮かべ、他のカップルに目を向けた。
沈黙を怖がっていない、互いに会話をしていないことを訝しげに思っているわけでもない。自然に過ごしている二人。夫婦、ではなさそう。同棲カップル、そんなところかもしれない。
カップルの佇まいで、その光景を想像する。当たっているかいないかは別問題。ドラマが見えてきて、とても楽しい。りおは手帳を開きながら息をついた。
それにしても、このオープンカフェがオシャレなのはわかるけれど、カップルばかり。たまにはイイ男がひとりでコーヒーを飲む姿を見たいもの。
そんなことを思っていると、斜め後ろの席にスーツ姿の男性がひとりで座っているのを目にし、少し身を乗り出した。
上等のスーツに、なんと英字新聞。彼はきっと外資系のサラリーマン。たぶん、バツイチ。そう、そんな感じ。
結婚は懲りた、と思っている。でも、『恋人』を求めている。金曜の夜にはバーに行っちゃう? と思えば、イイ男だけど、ちょっと好みではないな。
そう思いつつ手にしている雑誌のページをめくった。『レオン・マクレガー』の記事で手を止める。
りおは雑誌のレオンを食い入るように見て、やっぱり樹利さんに似てるなあ、と思わず笑った。
樹利さんはあの大きな包容力が魅力なんだけど。若い頃はレオンみたいに尖った雰囲気だったのかな。りおはそんなことを思いながら笑みを浮かべ、カフェオレを口に運んだ。
一歩外に出ると、いろんな人生に遭遇する。人生はドラマで満ち溢れている。そして、この私の姿も、誰かに想像されて、あれこれ思われているのかな。
野々山りお。高校三年生。とりあえず、大学生の彼氏がいる。ドラマっぽい出会いじゃなくて、元は友だちのお兄ちゃんだったりする。
世の中、ドラマで満ち溢れているけれど、私自身はそんな『ドラマチック』な出来事に遭遇していない。もしかしたら、外から眺めているのが好きで、自分自身が飛び込むことは望んでいないのかもしれない。
「こんにちは、りおちゃん」
そんなことを思っていると、頭の上で声がした。
聞き覚えのある、柔らかなトーンの声に顔を上げるなり、目に飛び込んできた樹利の姿に、驚き声を詰まらせた。
やっぱり、樹利さんはカッコイイ。一歩外に出ている方が、そのたぐいまれな外見の良さが際立つ気がする。
そう思い、樹利の後ろに誰かが立っていることに気付いて、そっと首を伸ばし、その姿を確認するなり言葉を失った。
アッシュグレイの艶やかな髪に、樹利さんによく似た冷たげな美しい容姿。この顔はついさっき、雑誌で見たばかり。レオン・マクレガーだ。
人生はドラマで満ち溢れている。時に奇跡的に、時にごく自然に、誰のもとにも、私の前にも、ドラマは起こるんだ。
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