子どもの頃の夢と現実の狭間で揺れる少女のファンタジー『獅子と銅貨と夢見るお粥(仮題』猫弾正


 老人は魔物だと思い込んだ風車に向かって果敢に突撃し、そして虚しく弾き飛ばされた。

 

 

 私は昔からミゲル・デ・セルバンテスの『ドン・キホーテ』が大好きであった。風車に突撃するシーンなど手に汗握って読んだものである。

 

 

 ただひとつ、どうしてもわからないのが、いっしょに読んだ友人がみんな笑い転げながら読んでいたことである。私だけがわからず、首を傾げたものだ。

 

 

 訊いてみたところ、どうやら彼らから見た『ドン・キホーテ』はコメディらしいのである。驚きの事実だった。

 

 

 私が主人公の老人に憧れていることを言うと、誰も彼もに笑われた。そして、私が本気だとわかると、やめてよと少し真剣な表情で言ってきた。

 

 

 どうやら、ドン・キホーテの起こす行動は彼らからしてみればなんとも滑稽で、奇矯なものであるらしい。

 

 

 私には理解ができなかった。

 

 

 夢を持ち続けることは難しい。私は幼い頃、学校の教師になりたかったが、頭が良くない今では、それを半ば諦めていた。

 

 

 夢を持ち続けるには、現実が邪魔をする。しかし、邪魔立てするからといって、現実を放り捨てることはできない。

 

 

 だから、私たちは夢を捨てるしかない。生きていくために夢を捨てて、やりたくないことをして生きていく。多くの人は、そうやって生きている。

 

 

 現実を捨ててまで夢を追いかけるのは勇気がいる。彼はそれをやってのけたのだ。だから、私は彼を尊敬する。

 

 

 私は彼のようになりたい。老人になっても夢を追い続けられるような人でありたい。笑われても自分の道を歩める人でありたい。

 

 

 たとえそれが妄想の産物でしかないにしても、巨大な魔物に突撃していく彼の背中は誰よりも大きい。

 

 

 それは老人の痩せ衰えた背中ではない。彼が憧れてやまない勇猛な騎士の背中である。

 

 

 夢を追い続けるその背中を、どうして笑うことができようか。私はむしろ、その背中を追いかけていきたいのだ。

 

 

 私はおもむろに手に持っていた傘を剣のように構えてみる。目の前には巨大な樹がそびえ立っていた。

 

 

 その腹に向けて思いきり振り下ろした。傘がものすごい音を立てて半ば辺りから真っ二つに折れる。

 

 

 もちろん、母に嫌というほど怒られた。夢への道は、どうやらまだまだ遠いようである。

 

 

夢のまた夢

 

 腰の痛みに耐えながら、今日も体を起こす。脇に立てかけた杖を手に取って、老眼鏡を鼻の上に乗せる。

 

 

 年老いた身体がこうも動けなくなるとは思わなかった。立ち上がるだけでも節々に痛みが走る。

 

 

 思えば、凡庸な人生だった。当たり障りのない仕事に就いて、特にドラマのあるわけでもなく、順当に出世して順当に退職した。

 

 

 だが、それが本当に私のやりたかったことなのか、私にはわからない。幼い頃に抱いた夢は、もう思い出すことすらできなかった。

 

 

 しかし、目を閉じてみれば、あの時こうしていればという後悔だけが次々と浮かんでくる。

 

 

 金の支払いに追われ、生きていくだけでも精いっぱいの人生だった。そのおかげで長生きできたが、その結果、私に何が残っている。

 

 

 私が残したのは面白みのない仕事に追われる人生と、枯れ木のようになってしまった身体だけだ。

 

 

 ふと、思い出す。そうだ、私はドン・キホーテになりたかったのだ。彼のように、夢を追いかけたかったのだ。

 

 

 今の私はもう、槍も持てないだろう。馬にも乗れないだろう。そんな若さは失ってしまった。

 

 

 私は風車の魔物に立ち向かうことすらできないのだ。目尻から涙が知らず零れ落ちて、古びた床に染みを作る。

 

 

 不幸な人生だったとは言わない。だが、いっそ、不幸であった方が良かったかもしれない。

 

 

 波風のない人生ほど、生き甲斐のないものはない。そんな人生を自分が送ったという事実が、虚しくて、悲しかった。

 

 

「オーディンは汝に使命を下された」

 

 

 手のひら程度の大きさの少女が私に言う。重々しい口調であったが、声はごっこ遊びをする子供のように幼い。

 

 

 ああ、もう少し。もう少し早く彼女の存在に気がついていたのなら。冒険に旅立つことができていたのなら。

 

 

 私はきっと、どんな結末であったとしても悔いることはなかったろうに。

 

 

戦乙女に唆される村娘のファンタジー

 

 ある日の朝、トスカ村のアーニャが目を覚ますと、薄い布団の上で、手のひら程度の女の子が三人、槍を振り回しながら輪となって踊っていた。

 

 

 非現実的な光景に固まっているアーニャの目の前で、鎧を着こんだ女の子が三人。これは、きっと妖精だ。そうに違いない。

 

 

 早朝である。妖精が何かを言ったが、アーニャは寝惚けていた。あくびをしているアーニャに、妖精は怒っているようだ。

 

 

 彼女は妖精たちが何かになり切って遊んでいると思っていた。妖精は悪戯好きで遊び好きだからだ。

 

 

 遊んでてもいいけど、終わったら片付けてと言い残して再び横になり、アーニャは目を閉じた。鎧を着こんだ妖精たちは頷き合うと、槍を掲げる。穂先が煌めいた。

 

 

 アーニャが飛び上がった。妖精たちに何かをされた。尻が焼けるように痛い。妖精たちは得意げに槍を振り回しながら胸を張っていた。

 

 

「きけ、あーにゃよ。おーでぃんはなんじにしめいをくだされたのだー」

 

 

 妖精たちはそこまで言って沈黙した。涙目になったアーニャが妖精たちを睨み付けながら、枕元に置いてあったのし棒を手に取ったからかもしれない。

 

 

 顔をひきつらせた妖精たちは一斉に身を翻すと、一目散に逃げだした。

 

 

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