さまざまな文学の登場人物たちが日本を救う『ものがたりの賊』真藤順丈


小説を読んでいて、いつも思うことがある。物語の中で活躍する主人公たちが、もしも一堂に会したとしたら、いったいどうなってしまうのだろう、と。

 

『ものがたりの賊』は、『宝島』をはじめ、さまざまなジャンルの作品を手掛けている真藤順丈先生の作品である。

 

時は大正。社会を変えようとする無政府主義者たちの活動はいっそう過激さを増し、混沌とした世の中になっていた。

 

鉄道技手の男は、鉄道を利用して事故を起こそうとした同僚の企みを阻止するために電車を止める。しかし、その代償として瀕死の重傷を負ってしまった。

 

ついにここまでかと思った時、現れたのはとある縁で知り合った老人である。彼は自らの血を分け与えることによって男の命を救った。

 

この鉄道技手の男、子どもの頃から無鉄砲で、かつては教師を務めていた。人は彼のことを、「坊っちゃん」と呼ぶ。

 

坊っちゃん、言わずと知れた夏目漱石の書いた傑作「坊っちゃん」の主人公である。教師として働くも、その正義感ゆえに人間の汚さに憤慨して辞職し、帰郷して鉄道技手となった。

 

彼が「坊っちゃん」だと知った時は驚きと嬉しさのあまり思わず声が出たものである。しかし、彼だけではなかった。

 

『ものがたりの賊』では、さまざまな作品の登場人物が入り乱れているのだ。かつて、物語の一人物として活躍していた彼らが、今ここで再び新たな物語を築く。

 

『竹取物語』の翁、『伊豆の踊子』に登場する薫、『源氏物語』の主人公である光源氏、『高野聖』の聖……。

 

主役や脇役、悪役だけではない。情景描写の中にも至るところにさまざまな物語のパロディが出てくる。街中で通りすがる『たけくらべ』の二人、『ドグラ・マグラ』の舞台となる九州帝国大学。

 

しかし、ただ別の物語のオマージュというだけではない。彼らは歴史上の事件や人物の中に紛れて、大きな一つの物語を紡ぐのだ。

 

アナキストの大杉栄の暗殺、関東大震災、青鞜社などが、真藤先生の手によって新たな姿を与えられる。フィクションとノンフィクションが、この本の中で混じり合ってひとつとなるのだ。

 

これだ。私は、このような物語を読みたいと、ずっと思ってきた。さまざまな文学作品の英傑たち。彼らが歴史の中で同じ時、同じ場所にいる瞬間を。

 

読み終わり、満足感にほっと息をついた。ただ登場人物が集まったお祭り的なパロディというわけではなく、ストーリーもファンタジーとしておもしろかった。

 

読後の心地よい余韻に浸っていると、ふと、窓の外を通りすがったひとりの人物が視界に映る。はて、なんだか奇妙な格好をしていたような。

 

まるで時代錯誤の、昔の人物がタイムスリップしてきたかのような……。いや、そんなことが現実に起こり得るはずはないのだけれど。

 

ただ、どうしても気になって、読んでいた『ものがたりの賊』を閉じて外に出てみる。人はおらず、ひっそりとしていた。

 

家の前の、見慣れた光景。けれど、どこか違ってみえる。なんだろう。何か、言いようのしれない違和感があった。何かに気付きかけているような気がした。

 

ひらひらと飛んでいるちょうちょに、視線をやる。その風に飛ばされそうな頼りない姿を見て、私ははっと思い出した。

 

ああ、そうか、そうだった。ふと、気づいた。そうだ。私もまた、フィクションの、物語の登場人物のひとりだったのだ。

 

私たちは、蝶の見る夢のようなものかもしれない。誰かが物語を読むのをやめて本を閉じた時、私たちの世界はその瞬間、ぱっと消えてしまうのだ。

 

 

ものがたりの登場人物たち

 

隅田川に架かる三連トラスの鉄橋を、電車がゆっくりゆっくりと軌道を鳴らして通過する。浅草から少し離れた柳橋の料理屋で親睦会は行われた。

 

おれは座敷を逃げ出し、料亭の庭を眺めた。するとそこで、庭を挟んだ向かいの障子戸が開いて、洋杖を突いた年寄りが出て来た。

 

おれはその白髯の老人を、何処かで見たことがあるような気がした。知り合いの御隠居かしらんと見ていると、眼と眼が合った。

 

「らるの、えすたすべら」

 

老人はおれに異郷の呪文のような言葉を投げかけた。爺さん、何て云ったんだ? 英語だろうか。返答につまっていると、ぼうなん、べすぺえろん、みあのもえすたすさぬきのみやつこと続けた。

 

おれのような江戸っ子を捕まえて、ぼうなんべすぺえろんとはよく云ったものだ。こっちは辛抱が利かない性だから。恥をかかされているような心持になって「おれは日本人だよ」とぶっきら棒に答えた。

 

「御隠居、そいつぁ何処の国の言葉ですか。あんたとは以前に逢ったことがあるような気がするんですけどね」

 

おれは二言三言を吐きながら爺さんを観察していて、そこで漸く思い当たった。

 

「掏摸の子どもに飯を食わせた時じゃあないか」と口に出して云った。「あの時の勘定を持ってくれた人じゃないですか」と云っても爺さんは直ぐに要領を得ない。

 

あれこれと委細を説くと、急に得心がいった眼差しで「ああ、そんな事もありましたな」と思い出した。

 

 

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