片思いの最悪の結末『囮物語』西尾維新


 私には好きな人がいます。ずっと、ずっと、私は彼のことが好きでした。

 

 

 私が彼と出会ったのは小学生の頃です。私が小学三年生で、彼は小学六年生でした。

 

 

 当時、私は同級生の女の子のひとりにいじめられていました。何がきっかけなのかはわかりません。けれど、その子は私のことを最初から嫌いだったようなのです。

 

 

 クラスのみんなは私に同情していました。だから、その子は必然とクラスで孤立するようになったのですが、それでもその子は私へのいじめをやめませんでした。

 

 

 校舎裏で服に泥をかけられて、彼女に詰め寄られて泣いていたところに、彼は颯爽と現れました。

 

 

「おい、何しているんだ」

 

 

 思わぬ乱入者、しかも上級生の男の子の登場に、彼女は苦々しげに表情を歪めて、何も言わずそそくさと去っていきました。

 

 

 しかし、私は彼女のことよりも、彼から視線が外せませんでした。背が高くて、かっこよくて、助けてくれた。まるで白馬の王子様みたい、とすら思いました。

 

 

 そして、私はその瞬間、彼に恋をしたのです。

 

 

 とはいえ、彼と私は学年が違いますし、接点は少しもありませんでした。彼に告白するどころか、彼と話す機会すらないのです。

 

 

 動けずにいるうちに彼は卒業してしまいました。結局、その時の少しの間しか、私は彼と話せませんでした。

 

 

 彼は地元でも名門の中学校に行ったようで、私には到底行けるようなところではありません。私の成績は下から数えた方が早いくらいでした。

 

 

 最後に彼について聞いたのは、彼が県外の高校に進学したというのが最後でした。私と彼とのわずかでもあったつながりは、そこで途切れてしまったのです。

 

 

 それでも、私は彼のことがどうしても忘れることができませんでした。

 

 

 中学生にもなると、告白して付き合いだす子たちも出てくるようになります。私に告白してくる男の子も、何人かいました。

 

 

 でも、私は「好きな人がいるから」といつも断っていました。どうしても、頭の中で彼と目の前にいる男の子を比べてしまうのです。

 

 

 そんなふうに彼を想いつつも、出会うこともなく過ごしていた時、私は高校生くらいになっていたでしょうか。

 

 

「『物語』シリーズのさ、新作が出たから貸してあげるよ」

 

 

 『物語』シリーズは西尾維新先生が書いているシリーズ作品です。クラスでも人気が高くて、軽くブームになっていました。

 

 

 とはいえ、学生のお小遣いではなかなか買えなくて、私は数冊しか読んだことはありませんでしたが。いいの、と私が聞くと。

 

 

「いいよいいよ。読み終わったら感想聞かせてね。それじゃあ」

 

 

 彼女は鷹揚に笑って、私の机に本を置いていきました。『囮物語』。キャラクターのひとりである千石撫子に焦点を置いたお話なのでしょうか。

 

 

 貸してくれた女の子は、同じグループの子でしたが、あまり話したことはありません。ただ、気づくと、私を見てにやにや笑っている、ちょっと不気味な子でした。

 

 

 彼女が積極的に私に個人的に話しに来るなんて珍しいことです。あまつさえ、本を貸してくれるなんて。私は首を傾げました。

 

 

 ともあれ、『物語』シリーズが好きなことに変わりはありません。私はその本を読んでみることにしたのです。

 

 

手を伸ばしても、届かない

 

 あの子は、なんてものを。私は本を閉じると、この本を貸してきた彼女に心の中で文句を言いました。

 

 

 こんな物語を読んでしまったら、もう、片思いなんて続けられないじゃない。決して届かないことを知っている、きれいなだけの片思いなんて。

 

 

「どうだった?」

 

 

 彼女が私の前の席に後ろ向きに座りました。背もたれに腕を置いて、私と向かい合います。相変わらずの、不気味な笑みを浮かべて。

 

 

「その表情を見ると、私がその本を貸した意図はわかってくれたみたいだね」

 

 

 私はどんな表情をしているのでしょう。今、自分がどんな表情をしているのか、わかりませんでした。

 

 

「片思いってのは楽だよね。上手く告白の断り文句もできるし、子どもの頃からずっと好きでした、とかロマンチックだし」

 

 

 本当に好きだったなら、きれいだよね。本当に好きだったなら。

 

 

「君は、自分の片思いが成就しないことをわかっていたんじゃないのかな」

 

 

 そのうえで、好きな人として利用していた。自分が楽をするために。でもさ、それは怠慢なんじゃあないのかな。

 

 

「それじゃあ、君に告白した子たちにも、その好きな相手にも失礼極まりない話だよ。誠実に向き合っていないってことなんだから」

 

 

 はっきり言ってしまえば卑怯だよ。私はいくら可愛くてもそんなやつと友達だなんてごめんだね。見ていて腹が立つし。

 

 

「ふう、すっきりした。それじゃあね」

 

 

 言いたいことだけ言って、彼女は本を持って教室から出ていきました。私は動くことも、言い返すこともできずに黙っていることしかできませんでした。

 

 

 言い返すことができなかったのは、彼女の言葉にたしかに頷くことができるからです。彼女の言葉を否定することが、私にはできませんでした。

 

 

 もう、いいのかもしれません。あの物語を読んでしまった以上、私はもう、彼に片思いなんてできないでしょう。自分の片思いの正体を知ってしまったから。

 

 

 もう、空に手を伸ばすのはやめる。自分の足元を見よう。そこが星空と比べて、どれだけ汚くても、私はここで生きているのだから。

 

 

かつて蛇に巻き付かれた少女の片思いの結末

 

 誰かを好きになると言うのはとても素敵なことだと思います。それだけで生きていこうって気になって、ふかふかのぽわぽわになるものだと思います。

 

 

 世の中は思い通りにならないことや嫌なことがたくさんあるけれど、誰かを好きだという気持ちがあれば頑張れるし、その人が隣にいたら、いつまでだって歩んでいられるのだと思います。

 

 

 なのにどうして撫子は、今、蹲っているのでしょう。膝を抱えて俯いて。泣いているのでしょう。わかりません。本当にどうして、こんなことになってしまったのでしょう。

 

 

 撫子が普通の中学生だったあの時。撫子が被害者だった、あの時。あれから果たして、どれくらいの時間が経ったのでしょうか。

 

 

 なんて、懐かしむようなことを言ってみたところで、実を言うと、本当は懐かしむほどの時間が経過していません。

 

 

 だけど、そのついこないだというのは、もう帰れないほどに昔のことでもあるのです。あの頃の自分に帰りたいと心から思いますけれど、だけどそれは無理なのでしょう。

 

 

 いろんなことがわからなくなっている今の撫子ですけれど、さすがに自分がどこにいるかわからなくなるほどに、自分を見失ってはいません。

 

 

 今、撫子がどこにいるのかくらい。撫子が、神社の床下にいることくらい。かつて滅んだ神社――北白蛇神社の床下で、膝を抱えていることくらい。

 

 

 がさり、と。そんな音がしました。それは足音でした。音として聞くなら、ほんのかすかな足音だったのだと思います。

 

 

 その瞬間、吹っ飛びました。何が? 何がと言えば神社です。撫子が床下に身を潜めていた神社です。

 

 

 目を伏せていても、篠突く雨音に遮られても、撫子には、そう。近づいてくるこの足音は、わかるのでした。この人は大切な人だから。撫子の大好きな人だから。

 

 

「殺しに来たぜ――千石」

 

 

 魅惑的な、その台詞に。とろけそうな、その台詞に。視界に入った彼の姿を。阿良々木暦の姿を。暦お兄ちゃんの姿を――とらえます。

 

 

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