幼女に転生した男が軍人として怖れられる『幼女戦記』カルロ・ゼン


「戦いたくない、なんて言えないよな」

 

 

 私はため息を吐いた。背にした扉の向こう側では、仲間たちがわいわい騒いでいる。どうせトランプにでも興じているのだろう。

 

 

 明日には何人か、欠けているかもしれない。そんな不安を誰しも抱えているだろう。しかし、それでも、行きたくないとは誰も言わないのだ。

 

 

 彼らは自分を誇っていた。国のために戦っている自分を肯定していた。だからこそ、彼らはみんな戦いたいと自ら志願した。

 

 

 私だけだ。私だけが戦うことに恐怖を抱いている。私だけがこのまま明日を迎えることを悲しく思っている。

 

 

 作戦は明日実行だった。生き残れる可能性は零にも等しい作戦だった。しかし、それでもやらねばならなかったのだ。

 

 

 家族の顔が思い浮かぶ。笑顔で見送ってくれた愛おしい妻を。そして、彼女の腕に抱かれた幼い我が子を。

 

 

 ここで私が戦わなければ、愛する家族が蹂躙される。だが、彼女には、私がいないことで苦労を掛けることになるだろう。

 

 

 私など捨てて他の男を見つけてくれるのならば、いっそ安心できるのだが、健気で律儀な彼女のことだ、いつまで経っても私のことを背負うつもりでいるに違いない。

 

 

 そして、明日帰れないかもしれないというのに、そんな彼女の想いが嬉しい自分がいる。ほとほと救いようがないものだ。私は思わず自嘲した。

 

 

 背後から騒ぐ声が聞こえてくる。鬼よりも厳しい上官も最後の夜となっては見逃してくれるらしい。

 

 

 狂っている、と私は思った。彼らは気のいい仲間だった。ともに多くの時間を過ごした。それなのに、彼らは喜んで自分の命を無為に費やそうとしているのだ。

 

 

 幾度となく逃げようと思った。逃げて、逃げて、どこか誰にも見つからないところで静かに生きていこうと思った。

 

 

 それでも、できなかった。愛する家族がいるからだ。ともに向かう友がいるからだ。それでも、どうにも、私の中の恐怖は消えなかった。

 

 

 生きたいと言えば、上官からは殴られる。友からは罵倒される。臆病者、と。それでも国を守る軍人か、と。

 

 

 国なんてどうでもいい。私たちは軍人である前に人間なのだ。人間であるべきなのだ。どうして誰もそんな簡単なことがわからないのか。

 

 

 世界。それに尽きる。世界がおかしいのだ。だからこそ、おかしなことが常識になっている。それが当然になっている。

 

 

 私は国に残した妻と子に思いを馳せた。彼らと会うことはもう二度とないだろう。

 

 

 最後にその声が聞きたい。私はそう思ったが、そんなことはできないのだ。この時代に電話なんてものはないのだから。

 

 

歪んだ世界

 

 私には今の自分ではない記憶があった。おぼろげなわけでもなく、はっきりと覚えている。

 

 

 電話の存在も知ってるし、パソコンも知っている。テレビを観るのが好きだったし、ゲームが趣味だった。

 

 

 この戦いも知っている。きっかけも、そして結末も。この戦いが、我が国の敗北で終わることも。

 

 

 だから、私はなんとかこの戦いに自分が参加するという未来を避けるために、幼い頃から手を尽くしていたのだ。

 

 

 なんとかしようとしていた。生きようとしていた。戦わないようにしようとしていたのだ。

 

 

 しかし、それも敵わなかった。だからこそ、今、私はここにいるのだ。そして、明日、私の今生の命は終わるだろう。

 

 

 それも当然だ。この世界はそういう世界だった。私が知っている平和な国の過去とは思えないくらいに。

 

 

 私は世界を相手に戦おうとしていたようなものだった。負けるのも当然だろう。

 

 

 かつてはどうして戦うのだろうと疑問に思っていた。しかし、この世界に生まれてようやくわかった。

 

 

 そういう世界だったのだ。戦うことが当たり前で、国を守ることが常識だった。自分や家族の命よりも、それが上に来ていたのだ。

 

 

 風潮。常識。戦うことを、戦って命を散らすことを、社会が勧めていた。それが最高の人生だとされていた。

 

 

 歪んだ価値観。歪んだ世界。背後で騒いでいる彼らは私を憎むかもしれないが、きっと、この国は負けた方がいいのだ。

 

 

 そうして、これ以上ないくらいにズダボロにされるといい。じゃないと、歪んだ世界なんて、ずっと歪んだまま元に戻らないのだろう。

 

 

合理主義の男が幼女に転生して戦いの日々に明け暮れる

 

 私からしたら、人生とは栄達と挫折の混合物であった。人並み以上の頭はあった。大学は有数の名門校には入れた。一般的なエリートとして私は歩み始めた。

 

 

 オタクであることは、ヒミツに。大学では、勤勉な学生を。サークルでは、ほどほどに拘束されない文科系を。

 

 

 コネと能力を構築して、社会に出るまでのモラトリアムを過ごす。人的資本投資に勤しみ、シグナル理論も合わせ持って、世間では評価される学生が出来上がる。

 

 

 限りなく、企業の理屈に従い、率先して利益を追い求める。そういう、企業の狗として、人生を送り始めた。

 

 

 仕事において、情は必要以上には関心を払わない。そして、趣味と仕事の世界にいる。これに、満足している。

 

 

 だが、人生とは、上手くいくことがないのが定石だ。人事部長から、誘われ、人事部に入ったことが面倒事の始まりである。

 

 

 人の感情は、倫理や禁忌に優先するものらしい。部長から、駅では背後に注意するように、と忠告された意味を理解できていなかった。あとは、物流網を肉片で混乱させたとのみ、申し上げておこう。

 

 

 そして、気がつけばだ。テンプレ小説でよく見る老翁が、ため息を吐きつつこちらを観察している。

 

 

 私が死んだならば、魂はどうなると? 建設的な議論をしよう。これからのことの方が大切だ。

 

 

 輪廻に戻し、転生させるまでだ。神と自称する存在Xからの解答は、実にシンプルであった。

 

 

 なるほど、これが説明責任の全うというものか。たとえ、不快であっても、社会の一員、組織の一員として、踏むべき手続きには、理解を示すべきだろう。

 

 

 だが、微妙に、呟かれた言葉に困惑することになる。

 

 

「どいつもこいつも、解脱して涅槃にいたるどころか、信仰心の欠片すらない」

 

 

 契約の違反だの、オーバーワークだの、超常の理だの。今や科学の進歩がまるで魔法である。世のことは、すべからく、問題なかりし。

 

 

 満ち足りた世の中で、切迫していなければ、危機感も、信仰も生まれない。窮地に追い込まれなければ、宗教に頼らない。

 

 

「その原因は、貴様の場合は、科学の世界で、男で、戦争を知らず、追い詰められていないからだな?」

 

 

 ならば、その状況にぶち込めば、貴様でも、信仰心に目覚めるのだな?

 

 

 そして、コンクリの上、なぜか、バスケットの中で、身動きできずに泣く羽目になっていた。

 

 

 ここは、科学の世界ではなく、魔法の世界で。相互確証破壊理論で、平和だった世界ではなく。

 

 

 我が名はターニャ・デグレチャフ。孤児で、しかも捨て子。どうも、私の生まれた国は、帝国で、拡張主義国家で、軍国主義らしい。

 

 

 軍国主義国家に転生させられる。そして、将来の進路が、士官学校ひとつしかないような、条件。つまり、一兵卒として、お国のために、行ってこなくてはいけないのだ。

 

 

幼女戦記 1 Deus lo vult [ カルロ・ゼン ]

価格:1,100円
(2020/9/13 01:36時点)
感想(6件)

 

関連

 

2ちゃんねるから生まれた経済ファンタジー『まおゆう魔王勇者』橙乃ままれ

 

 この我のものとなれ、勇者よ。魔王は勇者に交渉を持ちかけた。丘の向こう側を見ないか、と。戦争が経済として根付いてしまっている世界で、戦争をなくすために。

 

 

 戦争が嫌いな貴方様におすすめの作品でございます。

 

 

まおゆう魔王勇者 1 「この我のものとなれ、勇者よ」「断る!」【電子書籍】[ 橙乃 ままれ ]

価格:943円
(2020/9/13 01:37時点)
感想(0件)

 

上空で出会った不思議な生物を巡るスペクタクルSF『空の中』有川浩

 

 原因不明の飛行機事故。その原因を探るため、春名は事故の時にもっとも近くにいた武田とともに空へと飛び立つ。そこで出会ったのは、遥かに巨大で知性の高い生物であった。

 

 

 未確認生物が怖い貴方様におすすめの作品でございます。

 

 

空の中 (角川文庫) [ 有川 浩 ]

価格:775円
(2020/9/13 01:39時点)
感想(115件)