芥川賞受賞。その言葉に惹かれて、その本を手に取った。初めて読んだ時のことは今でも覚えている。あれは、そう、嫌悪だろうか。
『蛇にピアス』。私がその世界に初めて触れたのは、学生の頃のことだった。図書館で見かけて、読んでみようと思って手に取った。
ルイは、アマという男からスプリットタンというものを教えられる。それは、舌を蛇のように二股に裂くという。
身体の改造。ルイはスプリットタンにひどく心惹かれ、自分もするために、アマに連れられて怪しげなお店、Desireを訪れる。
そこで出会ったのは、店主であるシバという男。ルイは、スプリットタンにするとともに、シバに麒麟と龍の刺青を入れてもらうことになる。
性描写。サディズムとマゾヒズム。人体改造。同性愛。日常では思わず目を背けてしまいそうなそれらが、作品の中でありありと描かれていた。
読んでいる最中、思わず誰かの視線を気にしたものだった。こんな本を読んでいると知られたらと思うと、ぞくっとするような背徳感と、どこか気恥ずかしさすら感じた。
そんな当時の自分を思い出すと、思わず失笑が零れる。あの頃の私は、良くも悪くも純粋だった。まさしく青い果実だった。花弁すらも開いていないような。
真面目な人間だったのだろう。先生や親の言うことを第一だと考えていた。『蛇にピアス』に嫌悪を覚えたのも、その真面目さのためだったように思う。
生まれてこの方、制服すらも着崩したことがない。ピアス穴なんて怖くて無理。舌にピアスなんて想像すらもしたくなかった。
当時の私には、その作品の何もかもが気持ちの悪いものとして映った。背筋にぞわぞわと虫が這っているかのような、そんなおぞましさがあった。
けれど、今にして思えば、私はそれを本当に嫌悪していたのだろうか、と思うのだ。
真面目な自分。逸脱することのない、普通の自分。あまりにも逸脱している『蛇にピアス』という作品に嫌悪感を抱く自分。
けれど、むしろ私はあの頃、その作品の世界に憧れたのではないか、とも思う。自分が決して触れることのない世界だからこその、憧れ。
真面目な学生が不良に憧れるようなもの、といえば、それまでだけど。足を踏み外さないように気をつけているからこそ、足を踏み外した先にどんな世界が広がっているか知りたいと思っていた。
『蛇にピアス』はまさにその、踏み外した先の世界だ。
見たことのない世界。逸脱に逸脱を重ね、世界のどこにも受け入れられないような、そんな世界。そんなおぞましい世界に、私はどうしようもない魅力を感じたのではないだろうか。
そんなイケないものに憧れた自分が許せなくて、私はそれを嫌悪した。今になって私は、過去の自分をそう分析していた。
痛みを感じないと、生きていることの実感が持てない。ルイや、アマや、シバの、そんな生き方を認められない人は、この作品も認められないだろう。まさに過去の私のように。
けれどそれは、『嫌悪』という何よりも強い衝撃なのだ。
私はもう、『蛇にピアス』を読んでも、あの頃のような強い忌避感を感じられない。それは、『痛みが生を実感させてくれる』という事実を、私が知ってしまったからだろう。それを、少し寂しく思う。
あの頃の私は、全身で嫌悪を味わっていた。それほどまでに、この作品が好きだったのだろう。なにせ、私は嫌悪しながらも、最後のページまであっという間に読みきったのだから。
二股の舌が手招く
「スプリットタンって知ってる?」
「何? それ。分かれた舌ってこと?」
「そうそう。蛇とかトカゲみたいな舌。人間も、ああいう舌になれるんだよ」
彼の舌は本当に蛇の舌のように、先が二つに割れていた。これが私とスプリットタンの出会い。
私はスプリットタンの話をかじりつくように聞いた。男はまんざらでもなさそうに語ってくれた。
そして数日後、私はその蛇男ことアマと二人で繁華街の外れの地下にあるパンクな店、Desireに来ていた。
アマが声をかけるとカウンターの中から頭がひょこっと現れた。その頭はスキンヘッドで、つるつるの後頭部に丸くなっている龍が彫ってあった。
たぶん、二十四、五くらいのパンクな兄ちゃん。彼は店長のシバさんというらしい。私は黙って会釈した。
「今日は、こいつの舌、穴開けてもらおうと思って」
私は軽い緊張で、どうも落ち着かなかった。こんなパンクな男に任せて平気なんだろうか。
「舌出して。どの辺に開ける?」
鏡の前で舌を出して、先端から二センチほどの中心を指差すと、シバさんは慣れた手つきで私の舌をコットンで拭き、指差した部分に黒い印をつけた。
「テーブルに顎載せて」
私は舌を出したまま言われるままに身体を低くした。舌の下にタオルが敷かれ、シバさんがピアッサーにピアスをセットした。
ピアッサーを縦にして先端をタオルに押しつけた。そろりと舌をはさみ、舌の裏に冷たい金属が当たった。
ガチャ、という音とともに、全身に戦慄が走った。
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