非日常と日常のコントラスト『コロナという「非日常」を生きる』曽野綾子


コロナウイルスの流行によって、私たちのそれまでの日常は崩壊した。突如として非日常を体験させられることになったコロナの騒動も、今では少しずつ、日常になりつつある。

 

外に出る時はマスクが欠かせなくなり、遠くに住む友達と気軽に会うこともできなくなった。一時は、「コロナいじめ」なるものも起こっていたという。

 

けれど、私が住んでいた地域は人出の少ない地方であったためか、周りでコロナに罹ったという人を知らないし、都会に住んでいる知人にも幸い罹ったという話を聞かない。

 

そもそも、私はもともと友達と遊ぶ以外はあまり外に出なかったこともあり、家にこもることも何ら苦にはならなかった。コロナが騒がれる世の中になっても、それ以前の生活とほとんど変わらなかったのである。

 

そのせいか、私にとってコロナとは、どうにも現実味を帯びない話だった。テレビの中での出来事というか、もしもコロナ騒動がメディアによる狂言だと言われたとしても、私は信じるかもしれない。

 

家から出られない時間を、私はずっと本を読んで過ごしていた。中でも、曽野綾子先生のエッセイ『コロナという「非日常」を生きる』という本は、なるほど、と思わされた覚えがある。

 

『十代、二十代の若者には「非常事態」を体験させる方がいい』というのが、先生の意見である。じゃないと、いざという時に対処できなくなるというのだ。

 

確かにその通りだと私は思う。私もまた、先生の言うところの「若者」のひとりであるが、生まれてこの方「非常事態」らしいものには覚えがない。

 

東日本大震災は私の住んでいる地域よりも遥かに遠いところで起こり、豪雨による断水が相次いだ時も、私が住んでいた地域は何も影響がなかった。

 

そのことを幸運に思うべきなのかもしれない。だが、逆に思うのだ。もしも自分があの場にいたとするならば、適切な行動が果たしてできるだろうか、と。

 

子どもは怪我をすることで学びを得る。「痛み」という経験をすることによって、その行動に対する危険を知るのだ。怪我させないように大切に育てられた子どもは、むしろ世の中にある危険を知ることができない。

 

言うなれば、私は怪我をしていない子どもと同じだ。「非常事態」の経験がない。それは幸せなことかもしれないが、将来的にもしもその事態に直面した時、私はきっと、為す術ないだろう。先生の本の言うところの、「教育貧民」である。

 

曽野先生のエピソードは強烈という他ない。先生は第二次世界大戦の終末期に東京にいたという。当時の東京はアメリカによる度重なる空襲に晒されていた。

 

先生は、一回、アメリカの戦闘機に狙われたことがあるという。幸運にも銃弾は先生を逸れて、危機を免れたとのことだが、その体験は先生の中に強く残っているのだろうと感じた。

 

「戦争」というものは、私のような「若者」にとっては非日常の最たるものだろう。日常的に死の危険に襲われる体験なんて、想像すらできない。

 

だが、もしも、未来にもう一度、どこかの国と日本の戦争が起こったら? その時、平和に身を沈めている私たちはいったい、どうするのだろうか。

 

戦争を知る年代がいなくなってきた、という問題が、近頃、囁かれている。歴史を引き継ぐべき私たちは戦争を知らず、それは歴史の教科書の中にしかない、ただの知識になり果ててしまった。

 

だが、平和ボケしている日本の周りでは、まだまだ戦争は続いているのだ。アメリカと北朝鮮の一触即発の雰囲気も、私たちはどこか、他人事として見ていたのではないだろうか。

 

コロナによる騒動を嘆く声もあるが、私は寧ろ、良い機会なのではないかと捉えている。コロナによる「非日常」を経験することは、私たちが新たな一歩を踏み出すきっかけになるのではないか、と。

 

 

世間は予想された筋書きにならない

 

ここのところ世間はコロナで大騒ぎしているというのに、私は家の中に閉じこもっているので、社会を見ていることにならない。

 

現在のところ、私の周囲にコロナに罹っているらしい人はひとりもいないし、我が家に通ってきてくれる秘書の知人の間でも、コロナが出たという話は聞いたことがないという。

 

子どもの時から、私の中では「世間は予想された筋書き通りにはならない」という思いが人一倍強いように思う。成人するまでの間に、人生に対する用心の姿勢をすっかり失ってしまった。

 

私の十代の前半は、第二次世界大戦の終末期だった。昭和二十年二月末まで東京で暮らしていた私は、毎晩のように激しい空襲に遭った。

 

空襲の後に東京の大田区にある家の敷地で、私は数度アメリカの艦載機の機銃掃討を受けた。そのうちの一回は、平屋の家の、ほとんど屋根すれすれから現れたグラマン戦闘機で、私めがけて機銃を撃った。

 

多分、今度のコロナ騒ぎは、騒ぎ立てたほどのことはなく呆気なく終息するだろう。しかも最近の日本では、異常事態そのものが珍しくなくなっている。

 

しかし思わぬところで、異常事態は人間の本性を見せる。私は今までに、常識的な人なら避けるような土地を旅行した。私が常に現実的な杞憂を抱いていたのは、強盗に遭うことだった。

 

日本人は時々、日常性の範囲にない暮らしをする方がいい。殊に十代、二十代の若者には「非常事態」を体験させる方がいい。「いざという時」をまったく知らない若者たちは、実は「教育貧民」なのだから。

 

 

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