理系の対話で人間社会をとらえ直す『文系の壁』養老孟司


理系と文系。その間には高い壁がそびえ立っている。その壁は軽く越えられそうでいながらも、なぜかある時、その存在を強く認識するようなことがある。

 

私は文系だと、学生の頃から強く自覚していた。国語は大の得意で、先生にも褒められたくらい。けれど、英語は苦手。数学も理科も苦手。社会は普通か並以下くらいのもの。うん、たぶん文系。

 

けれど、当然というか、学生を終えて社会人になると、理系か文系か、なんていうのはほとんど意識することがなくなった。思い出しても、計算が苦手ということくらいだ。

 

それを、文系理系というものを再び意識するようになったのは、養老孟司先生と幾人かの先生の対談をまとめた『文系の壁』を読んだからである。

 

養老孟司先生といえば、解剖学の教授であったり、虫を収集するのが趣味だったりと、バリバリの理系。そして、この本に登場する人たちは理系の先生方だ。

 

この本は理系の頭脳たちの対話で文系、理系という区分をテーマにはじまり、引いては人間社会そのものへの分析にまで突き詰めていく、というものである。

 

理系か、文系か。先生は、その区分は、現在ではほとんど意味を成さないものになったという。かつては学校の大きな区分として分かれていたものが、今ではすっかり形骸化してしまった。

 

それでも、やはり理系、文系という言葉が若い世代にまで残っているということは、それだけその仕分けはかつての人たちにとって大きな意味があったということだろう。

 

先生は、現代の理系文系の区分は、方法によるものと述べていた。すなわち、実験室の中でデータとにらめっこをするのが文系、野外で自然と触れ合い、実践によって答えを導き出すのが理系である、と。

 

さらに端的に言うなれば、文系はデジタルで、理系はアナログだということだった。なるほど、と思う。たしかに、言われてみればそんな気もする。

 

だとすれば、現代はより文系に寄っているように思う。私は大学の頃、森見登美彦先生の論文を書くために、毎日のようにパソコンと向かい合っていた。そして、周りにいる多くの人たちも同じようにしていたように思う。

 

私の知る限り、野外で実験をしていたというのは、生物を調べていた友人たちくらいのものだ。今では実験すらも実験室から出ることなく行われることが多い。

 

私は情報を整理して論文を書いた。ただ、個人的な意見として言うなら、百の情報を集めたとしても、その精度は一の実践的な結果にはとても及ばない、というのを感じている。

 

現代、ネットという便利なものが普及し、人間は無限にも思えるほど膨大な情報を管理することができるようになった。しかし、それは同時に、フェイクや偽情報が乱立し、情報を操る側にその正誤を見極める力が求められる。

 

「考え、行うのはヒトだ」まさしくその通りである。文系か理系か、その区分以前の問題だろう。正しい結果は正しい情報、正しいやり方のもとにだけ訪れる。ただ、今はそれがとても難しくなってしまった。

 

理系と文系。私の友人は、自分を文系だと述べた。計算はからきしできないし、数字を見るだけで気分が悪くなる、と。

 

けれど、私は一方で、彼女が思っているような、いわゆる理系と文系の間にそびえ立つ壁は、実際のところ、とても曖昧なものではないか、とも思うのだ。

 

私は国語が好きで、理科や数学が嫌いだ。だが、文系の分野である英語も苦手である。理科にしたところで、物理学は嫌いだが、生物はそこまで嫌いではない。

 

文系か、理系か。その区分は、相手の領域に対して無意識に忌避感を感じさせるものではないかと思う。そして、そのことが相手分野への苦手意識を募らせ、いっそう自分にはできないもの、できなくても仕方がないものとしての諦観が生まれてしまう。

 

けれど、そうではないと思うのだ。互いの分野を学ぶことで、得られるものは多い。間にそびえる壁なんて、ほんの少し苦手意識を飲み込んで、勇気を出してみるだけで請われてしまう、そんな脆いものではないかと、私は思う。

 

 

文系と理系

 

この対談集は若い世代の人たちと議論をした報告である。対談の背景は、いわゆる理科系の思考で、文科系とされる問題を考えたらどうなるだろうか、ということだった。

 

理科と文科の違いなんて、別に問題じゃない。そう思うこともあるが、そう思わないこともある。ではどういう場合にそれが問題になり、どういう場合には問題にならないのか。

 

現在では計算機の発達で、方法的には理科も文科もクソもなくなった。そういってもいいかもしれない。私はむしろ自然と直面するか、実験室にこもるか、その違いのほうが大きいと考えるようになっている。

 

若い世代はともかく、団塊以上のいわば古い世代は、理科文科の分け方がなんとなく身についているのではないだろうか。対談をしてみて思うことは、問題はおそらくそこではない、ということである。

 

ひとつはすでに述べた、野外か実験室か、ということである。どちらを採るかで対象が異なってくる。

 

もうひとつは方法である。これは計算機の発達が大きい。ビッグ・データが注目されるが、ここではさらにものごとの関連性という大きな領域が見え始めている。

 

どちらにしても忘れてはならないことがある。それは考え、行うのはヒトだ、ということである。どのような対象を取り上げ、どういう方法を使うか、それが結果を決める。

 

でももうひとつある。それはその過程で、その人がどう育つか、ということである。長い目で見れば、実はそれがもっとも重要なのではないだろうか。

 

 

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