狂気と狂気が激突する『夜のコント・冬のコント』筒井康隆


ああ世の中は実にコントのようなものだと思うのですよ。真面目に生きようとすればするほどおかしくなる。いっそ狂っちまった方がよほど賢いのではないか。この世の中そのものが、とっくに狂いに狂ってしまっているのだし。

 

筒井康隆先生の短編集『夜のコント・冬のコント』はまさしくそんな世の中の姿を教えてくれます。いわばこの作品は小説にして一種のビジネス書ないしは処世術伝授の本とも呼べるでしょう。

 

例えば、タイトル作のひとつ『夜のコント』。人気のない悪役俳優のパーティーに参加者は僅か。隣のパーティーが満員だからスペースを分けて欲しいと頼み込むホテル従業員に対して、また隣の奴等に対して、彼はとある企みを実行するのです。

 

「悪」でいることは難しく、偽善者ばかりが溢れている。そんな世の中で、悪役である彼が最後に語った演説はまさしく真理をついているでしょう。

 

例えば、タイトル作のもうひとつ『冬のコント』。レストランで妻の浮気を問い質す夫。その傍らで規則通りにメニューの説明をしなければならないボーイ。

 

夫の追求はいよいよ暴力を伴い、妻が肉塊へと変わっていく有様を、ボーイの料理説明を背景にしてまざまざと見せつけられるその狂気は、過剰な規則遵守による歪みを体現していると言えましょう。

 

その他、階級社会をエレベーターによって比喩的に示した『上へ行きたい』や人々の期待の裏側にある嫉妬や悪意を見せつけられる『火星探検』、珍しく後味のよい『夢の検閲官』といった傑作がごろごろあるのですけれども、私が一番好きなのは『傾いた世界』なのです。

 

海上都市マリン・シティが高波による事故をきっかけに傾き始めるところから物語は始まります。最初に気付いたのは論理谷認定という学者でした。

 

市長の米田共江は彼の警告を悪質なデタラメとしてまともに取り合いません。しかし、事態は刻一刻と進み始めるのです。

 

マリン・シティではどうやら女性の地位が男性よりも優位なよう。男性の言葉の暴力のみが厳しく規制される女性侮辱罪なるものが制定されているなど、それはまさしく過剰なフェミニズムの暴走した社会。

 

マリン・シティでも権力を握る女性たちは傾きが明らかとなっても頑なに「傾いていない」という主張を覆すことなく、論理谷教授をはじめとする男性たちは妨害する女性たちを退けて我先にと本土へと逃げていきました。

 

やがて、悪化していく傾きにより死傷者は際限なく増え続け、主要な人物たちも次々といなくなっていく。日常生活すら困難になった都市の行く末は、果たしてどうなるのでしょう。

 

暴走したフェミニズムへの痛烈な皮肉と、現実を見据えようとしない体制への嘲笑が込められたかのような作品。これぞ筒井康隆先生と叫ばれんばかりの、まさにスラップスティックの代表作と言っても過言ではないでしょう。

 

多くの人が不幸な目に遭う作品でありながら、妙に笑えるのは先生の得意とするブラックユーモアの為せる妙技。

 

論理谷認定や強弱文具郎などに見られる名前の奇矯さや海上都市の設定もさることながら、次々と傾きの制裁を受けていく登場人物たちのシュールな有様は思わず笑みが零れてしまう代物です。

 

……ところで、あの窓から見える二対のビルが、少しばかり傾いているように見えるのは私の目の錯覚に過ぎないのでせうか。

 

いや、もうすでに世の中なんぞ傾いているに等しいものなのかもしれません。昨今社会に当たり前のように鎮座して当然の如く受け入れられている狂気を眺むるに、今や現実そのものがスラップスティックに近しいものとなっているのですから。

 

 

ブラックユーモアのパレード

 

マリン・シティが傾き始めたのは九月に颱風がやってきて、マリン・シティが浮かんでいる内海までを津波のような高波が襲い、大きく荒れ狂った年の秋の終わりだった。

 

湾の入り口は南南西にあった。十月のなかば過ぎ、マリン・シティは太平洋に向かって徐々に傾き始めたのだったが、角度として二度にも満たぬはずのその傾斜に気付く者はその頃まだひとりもいなかったし、不都合が起こることもなかった。

 

バズの停留所でその朝、文具郎は論理谷という老大学教授から話しかけられてはじめて、マリン・シティの傾きを眼で確認した。

 

「なあ、強弱君や。ちょっとここから北二号棟の北東の壁面をご覧。あの壁面は垂直であるはずだが、天辺のあたりで少しズレていることがわかるだろう」

 

「ははあ。ちょっと飛び出していますね」

 

「北二号棟が南西に傾いておるのだ」

 

故にマリン・シティ全体が南西に傾いているのだという、比較的声高に結論付けたふたりの会話を、御忠新子というサラリーマンの女性が聞いていて、市長に報告した。

 

マリン・シティの市長は米田共江という五十八歳になる女性で、もともと論理谷認定とは仲が悪く、さらに彼女はこの海上都市建設を推進した功労者でもあったから、マリン・シティそのものを深情けと言えるほどに愛していた。

 

市民に不安感を与えようとする悪質な意図のもとに流言飛語をたくらむ反市民的行為であるとして、彼女は警察署長の坂巻一濤に論理谷認定の取り調べを命じた。

 

 

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