反撃の革命が始まる『図書館革命』有川浩


「いえ、結構です」

 

 

 私が断ると、手伝いを申し出た彼は不服そうな表情を浮かべた。どうして断られるのかわからない、とでも言いたそうな。

 

 

 それが君の申し出を断る理由だよ。私は内心でそんなことを苦々しく呟きながらも、表面上は笑顔でお礼を言って車椅子を動かす。

 

 

 私が車椅子に乗るようになったのは、小学生の頃だった。突然、足が動かなくなった時は、思わず放心したものだった。

 

 

 今でも元気に走り回っていた頃のことを夢に見る。そして、目が覚めて自分の現実を知った途端、私はうなだれるのだった。

 

 

 今の私は小さな段差すらも人の手を借りないと登れない。バリアフリーの風潮はありがたいが、それでもまだまだ少ないのである。

 

 

 世の中は健常者を中心に回っている。二本の足で大地を踏みしめて前を見据える彼らには、私たちの姿なんて見えないのだろう。

 

 

 しかし、こうして車椅子に座っているからこそ、見えるものもあった。彼らのように立ちっぱなしでは、決して見ることのできないもの。

 

 

 彼らは私を見る時、必ず見下ろす形になる。髪の毛が影を差し、にこやかに微笑む唇が歪に曲がる。それはまるで巨人のように怖ろしい。

 

 

 私には彼ら全てが恐ろしくて堪らなかった。彼らはその気になれば、私のことなんて簡単に蹂躙することができるだろう。見上げることで、自分の消えかけの蝋燭のような儚さを痛感するのだ。

 

 

 もちろん、だからといって実際に襲われたわけでもないし、被害を受けたわけでもない。しかし、そういった人間がまったくいないわけでもないことを、私は知っている。

 

 

 子どもは無邪気だが、残酷だ。彼らははっきりと言いたいことを言う。そして、大人は濃縮された邪悪を笑顔の下に隠し持つのだ。

 

 

 足が動かないことで嫌な思いをしてきたことは数知れない。悪意をぶつけられたことも、少なからずある。

 

 

 しかし、わかりやすい悪意ならばまだましだと、私は思う。彼らが悪いと断ずることができるのだから。

 

 

 正義の敵は悪じゃない。正義の敵は別の正義だ。まさしくその通り。正義の方がよほど恐ろしい。

 

 

 善意の方が悪意なんかよりも、よほど性質が悪い。それもまた、私が車椅子に乗るようになって初めて知ったことである。

 

 

悪意のない暴力

 

 段差の前で佇んでいると、手伝いましょうか、と言ってくれる人がいる。たとえ、見知らぬ人であったとしても。

 

 

 そういった時は素直にありがたく思う。一人で自由に行動できるほど、世の中は車椅子に優しくはない。

 

 

 運んでもらって段差を登り切り、彼らにお礼を言って別れる。お礼を言った時、彼らは一様に満足感に溢れた笑顔を浮かべている。

 

 

 その笑顔は自分の善意に酔いしれた顔だ。車椅子の人に親切を働いた優しい人なのだという自負を噛み締めているのだ。

 

 

 人はしばしばそういう顔をする。電車で老人に席を譲った時。子どもにお菓子をあげた時。誰かの落としものを拾って感謝された時。

 

 

 サービスを取捨選択する自由、とは誰の言葉だったか。

 

 

 手伝いましょうか。そう言って見下ろしてくる彼らの顔は、時として悪人よりも怖ろしい。

 

 

 彼らは笑顔の下で車椅子に乗っている私を下に見ている。しかし、何よりも怖ろしいのは、下に見ていることを彼ら自身が気づいていないことだ。

 

 

 彼らは自分が正義だと疑わない。だからこそ、自分の根底にある悪に気付かず、見て見ぬふりをしているのだ。

 

 

 自分のことしか考えない善意。人は悪いことには躊躇しても、良いことだと信じていることには躊躇わない。

 

 

 たとえ、それが誰かを傷つけることになってしまったとしても、その人にとっては良いことをした、で終わるのだ。

 

 

 それはもはや、悪意のない暴力である。そして、それは悪意よりも数が多く、世の中に蔓延っている。

 

 

 それはきっと、良い世の中であるということなのかもしれない。優しい人間になろうというしている人が多いということなのだから。

 

 

 彼らは良い世の中が少なくない犠牲の上に立っていることに気付いていない。これからも善意の剣を振るい続けるのだろう。

 

 

「手伝いましょうか」

 

 

 目の前にいる人の感謝を求めて手を差し伸べる。その足で、少なくない人たちを踏み潰していることにも気づかずに。

 

 

今こそ革命の時

 

 正化三十四年、一月。バレンタイン商戦一色に染まった十五日にその事件は起こった。福井県は敦賀原子力発電所が深夜、大規模な襲撃を受けたのである。

 

 

 午前三時、敦賀三号機、四号機に戦闘ヘリが低空侵入で突入した。ヘリは三号機に激突、これが始まりであった。

 

 

 三号機、四号機が安全装置の作動によって停止。原電警備隊が墜落したヘリから展開した襲撃者と戦った。

 

 

 しかし、その間に敦賀半島先端部の敦賀二号機が襲撃を受けていたのだ。この事件は、敦賀原電事件と呼ばれ、大規模原子テロとして話題となる。

 

 

 事務室には堂上班と柴崎、緒形隊長代理しかいなかった。そこへ隊長室のドアが開く。出てきたのは折口だ。そして折口に案内されるように出てきた中年男性。

 

 

 敦賀原子力発電所へのテロ行為と著作『原発危機』の作中の出来事が似ていることで話題になっている作家、当麻蔵人であった。

 

 

 敦賀原電事件を国際無差別テロと認定し、対テロ特̪措法が採択された。その影響で一部の政府組織が権限を拡大されたという。

 

 

 警察と自衛隊、内閣の内部組織のいくつか、そしてメディア良化委員会である。

 

 

 当麻蔵人の作品である『原発危機』。事件に似たストーリー、そして参考にできるほど緻密で詳細な内容。

 

 

 『原発危機』のような危険な書籍を書ける人物に自由な著作を許すわけにはいかない、という意見が良化委員会の権限を強めたのだ。

 

 

 皮肉にも対テロ特措法が治安維持の名のもとに大規模な言論狩りを開始するきっかけになろうとしている。

 

 

 当麻を奪われたら負けだ。郁はその単純なルールを噛み締めた。郁にとってはルールは単純であればあるほどいい。

 

 

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