小生は猫である。名前かどうかはわからぬが、人間たちからはミコと呼ばれている。
小生は薄暗い路地裏で生まれた。物心ついた頃にはすでに母はおらず、生ごみを漁って生きていた。
小生が初めて人間と出会ったのはその頃である。気持ちよく眠っていたのに、目が覚めたら小生はとてつもなく狭くて硬い壁に囲まれた箱の中にいた。
格子の隙間から見える巨大なイキモノが人間と呼ばれている生物だということを知ったのは、彼らの会話からである。
犬やら同輩やらの声がどうにも騒がしくて小生は辟易したが、騒ぎ立てるのも無理はなかろう。
なにせ、どうやら彼らは我々を処分するつもりらしいのである。なんたる事態か。しかし、逆らってもどうにもなるまい。というわけで、小生は寝たのであった。
では、なにゆえ今、こうして小生が思い出語りに耽っているのかというと、なにも末期の走馬灯というわけではない。
小生のそういった状況でも呑気に眠ることができる豪胆さゆえにか、或いは単純に小生が騒ぐことなく物静かに過ごしていたのが功を成したか。
小生は別の場所に移されることとなった。その場所こそが小生の今の住処『カフェ またたび』である。
店に入った小生は多くの同胞たちと相まみえることになった。彼らは柄が悪いわけではなかったが、どこかお高い連中である。
とはいえ、面倒見は良いらしく、この場所でのルールとやらを教えてくれた。彼らによると、ここは人間の憩いの場で、『猫カフェ』というらしい。
爪を立てない。無闇に騒がない。人間に媚びること。餌をねだる順番は先輩から。外に出ない。狩りをしない。先輩には従うこと。
どうやら、厄介なルールがいくつもあるらしい。なんとも面倒くさいことである。
しかし、それさえ考えなければ、この場所はなかなかに良いところであった。なにせ、人間の足に身体をこすりつけるだけで飯が出るのだ。
寝ていようが、取り合わずとも、ただ過ごしているだけでも飢えることはない。人間の考えることはよくわからんが、儲けものである。
人間に媚びることも気にしないし、先輩に逆らうほどの反骨心もない。小生はのんべんだらりと過ごしながら、食って寝るだけの日々を送っていた。
彼らと出会ったのは、そんな日々の最中である。
人間というものは毛の色も大差なく、模様も何も個性はない。ゆえに、人間の区別をつけるのは実に難しい。
しかし、そんな小生であっても、区別がつく人間が二人ほどいる。
ひとりはこのカフェを経営している店主だ。一度食卓の魚を拝借した時には烈火のごとく怒られたため、若干苦手であるが、飯をくれる。
また、ひとりはカフェにたまに来る若い人間の雌である。いつも大きなカバンを背負っている。
彼女が初めて来たときは小生の順番だったから、彼女の膝に乗って散々媚を売ったのだが、それが気に入られたのか、その後も彼女は来店するたびに小生を引き寄せるのだ。
彼女が来ると、小生は順番に関係なく飯にありつけるのだ。だから、彼女の来訪を心待ちにしていた。
しかし、ある時、小生はおやと思った。いつもはひとりで訪れる彼女が、今日は雄を連れてきたからである。
とはいえ、いつも通り、小生は彼女の膝に飛び乗る。小生の顔を見下ろす彼女の顔に、もうひとつ、雄の顔も加わった。
彼は彼女の番だろうか。人間の番はわかりにくいが、おそらくそうなのだろう。そんな雰囲気が漂っている。
それにしても、クッキーはまだか。いつもならば手ずから食べさせてくれるのだが、今日は彼女は彼との会話に夢中である。
むう。小生は不満げに声を上げて訴えてみるが、彼らは二人の世界に入ったまましばらく帰ってこないようである。
もういい、寝る。小生は丸まって目を閉じた。彼女の手が小生の頭を撫でるのを感じる。今さら、そんなことをしても、絆されることはないのだ。
ちらと見てみると、彼女は小生を撫でながらも彼と話しているようだった。やれやれ、猫も食わぬとはこのことである。
猫が繋ぐ二人の恋
春休み最後の一日。明日から始まる新学期への期待とクラス替えの不安、そして最終学年になるというプレッシャーが入り混じったなんとも言えない気持ちが募る。
「こうなったら、あそこに行くしかない!」
そう高らかに宣言し、財布の入ったカバンを掴んで家を出た。最寄駅から電車で二つ、改札口から出てビルが愛を歩くこと数分。
愛らしい猫の写真と、オシャレでカワイイ店名のロゴ。カフェなのに時間ごとの料金が提示されたそこは、いわゆる猫カフェだ。
スタンプカードが埋まるともらえるカードに思いを馳せながらお店へと向かい、ふと、足を止めた。
猫カフェの入っている建物の出入り口、そこにひとりの男性がいる。その動きは挙動不審の一言に尽きる。
できれば近づきたくないのだが、入り口を通らなければ猫カフェには入れない。しばらく様子を窺い、いっこうに退かない男性に痺れを切らして意を決した。
できるだけ目を合わせないように俯いて、まだ出入り口に佇む男性の横をすり抜け、聞こえてきた声に顔を上げた。
「七瀬?」
いったいどうしてこの場で苗字を呼ばれたのか、驚いて男性を見上げれば、目深に被った帽子から覗く瞳と目が合った。
「……志摩君?」
咄嗟に私が呟いたのは、同じ学校に通う男の子の名前だ。
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