空腹な少女のファンタジー『死神を食べた少女』七沢またり


  少女は空腹だった。彼女の腹には怪物がいる。その怪物は、少女の命を蝕み、唸り声をあげ、もっと食えとせがむのだった。

 

 

 土を掴み取り、口に運んだ。硬く、味がない。ただただ、不快な食感がある。これは人の食べるものではない。怪物はまだ叫んでいた。

 

 

 土に埋まっている野菜を食べた。村の人たちや家族に怒られ、食事を減らされた。怒りに満ちた怪物が、少女の胃袋に爪を立てている。怪物の怒号が夜通し響いていた。

 

 

 雨風を凌ぐ家の壁に歯を突き立てた。木くずが喉に刺さって痛い。家族に殴られ、蹴られ、家から追い出された。私はもう、その家の子ではなくなった。怪物と二人、森へと逃げた。

 

 

 空高く輝く朝日に照らされて、木の葉の上に瑞々しい朝露が輝いていた。口を開いて呑み込む。おいしい。喉は潤された。けれど、喉に怪物がいるわけではない。

 

 

 目の前をのそのそと芋虫が歩いている。指先で持ち上げて噛み千切った。柔らかい果肉と変な汁。おいしくはないけれど、土や壁よりましだった。

 

 

 土から飛び出した木の根を齧った。堅くて噛みきれない。顎が疲れる。けれど、ずっと噛んでいると癖になる。腹は満たされない。怪物が不満そうにぐるぐると唸る。

 

 

 狼の群れに囲まれた。少女に恐れはなかった。少女の目には新鮮な肉としか見えていなかった。一番大きな肉の喉元を噛み千切ると、他の肉は這う這うの体で逃げていった。怪物がもっとと叫ぶ。

 

 

 おどおどと森をさまよう女を見つけた。少女は腰を深く落とし、身をかがめる。その夜、村では薬草を探しに行った女が帰ってこないと騒がれていた。怪物はこの肉が気に入ったらしい。

 

 

 木の実を食べた。キノコも食べた。目に映るものは何でも食べた。それなのに、少女の空腹は、いつまで経っても満たされない。

 

 

 やがて、空腹に喘いだ少女は動けなくなった。倒れ込んだ少女の周りに、カラスが集まってくる。彼らは黒い嘴で、少女の肉を啄んだ。

 

 

 肉を抉る痛みすらもすでに消え去り、今も胸中に襲いかかる食欲の波の中で少女が思い出していたのは、やはり食い物のことであった。

 

 

 昔、村を訪れた吟遊詩人のお話。村の子どもたちが恐怖に震え上がったその話を、少女だけは涎を垂らして聞いていた。

 

 

 『死神を食べた少女』。詩人はそう言っていた。かつて大陸に恐怖を振りまいた死神の物語である。

 

 

 腐敗した前王国を滅ぼし、今の世の中を築き上げた現王国。それはまだ、彼らが王都解放軍と呼ばれていた頃のこと。

 

 

 敵にも味方にも怖れられた人物がいた。その名は、シェラ。蒼白い馬に乗り、大鎌を振り回して多くの敵を屠った王国軍の死神。

 

 

 死神シェラを主軸にした物語で、怪談以外のものは珍しい。その物語が現王国の暗部を含んでいることなど、村の者には知りようがない。

 

 

 おどろおどろしい政治の駆け引き。一進一退の戦争と、散っていった英雄。それぞれの思惑と、戦いの巻き起こす悲劇。そんなものは、少女にはどうでもよかった。

 

 

 シェラは食べることが好きだったという。そんな彼女がもっともおいしいと述べたとされるもの。少女には、それだけが重要だった。それがやがて、少女の夢になった。

 

 

 シェラは死神を食べたという。少女は、死神を食べてみたいと夢に見た。その夢が叶わないまま、カラスに食われて終わること。それだけが少女の悔いだった。

 

 

 ざり。土を踏む足音。少女が閉じていた目を開けると、カラスの鳴き声の中に、黒ずくめの足だけが見えた。

 

 

 見上げると、男がいた。全身が黒ずくめだった。けれど、そんなことは少女には関係がなかった。

 

 

 ああ、ああ、そう、それこそは、きっと少女が夢に見た、死神の姿に違いない。カラスが騒ぎ立てている。

 

 

 少女の胃袋が暴れまわっていた。叫び声をあげる怪物が少女の腹を内側から推して、さながら妊婦のように膨らませている。すでに事切れた少女の細い体は力なく振り回されるままだった。

 

 

 少女の腹が裂け、怪物が腹を食い破って飛び出した。身を躍らせた怪物は牙を向き、黒ずくめの男の喉元を食い破らんと身を躍らせる。

 

 

恐れを振りまく大鎌を持った少女

 

 はじまりは、よくある話だった。戦渦に巻き込まれ、財産、食料、命が奪われる貧しい農村。

 

 

 不作続きで飢えに喘ぐ村人たちのもとに、容赦なく訪れた蹂躙者たち。満足な抵抗すらできぬまま、哀れな命が刈り取られていく。

 

 村のいたるところから悲鳴、絶叫が上がり、そして消えていく。この地獄の釜からは、誰ひとりとして逃げることはできないのだ。

 

 

 そんな煮えたぎる忌まわしい業火の中。痩せ細ったひとりの少女が、空ろな瞳でぼろ小屋にこもっていた。

 

 

 身動きする気力と体力は、彼女には残されていない。少女の心に、諦め、絶望、嘆き、哀しみ。いろいろな感情が入り混じる。

 

 

 だが、そんなことよりも、少女が強く思っていたのはたったひとつだけ。それは、『お腹が減った』という、人間の本能とも呼べる悲しくも浅ましい欲望だった。

 

 

 だから、ついに蹂躙者が入り込んできても、少女は微動だにしなかった。

 

 

 大きな鎌を持った死神が、自分を見下ろしていても、恐怖を感じることはなかった。

 

 

 死神と男が重なって見える。いよいよ感覚がおかしくなってきたらしい。少女は滲み始めた世界で、お腹がすいたと心の中で何回も呟く。

 

 

 死神が憑りついた男を見つめて、少女の脳裏に浮かんだことは、『こいつの柔らかそうな喉元、とてもおいしそう』だった。

 

 

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