私が子どもの頃のことだ。たった一度だけ、私は小さなその存在を見たことがある。今もまだ、はっきりと思い出せるのだ。
夕暮れ時だった。白いカーテンをかけた窓から黄色く染まった陽だまりが差し込んで、私の子ども部屋はきらきらと輝いていた。
私はお気に入りのお人形の髪を櫛で梳いていた。ドレスを着た少女を模した人形だ。今はもう、どこかへなくしてしまったけれど。
その時、ふと、特に何かを考えてのことではなかったはずだけれど、私は人形から目を離して顔を上げた。その瞬間、私は見たのだ。
ぎょっとしたような驚いた表情で振り返ったのは、私の人形と同じくらいの大きさの、小さな中年の男だった。
顔立ちまではっきりと覚えている。浅黒く、口元には髭が生えていて、髪の毛は少なかった。手には風呂敷包みのようなものを抱えていた。
私と目が合った瞬間、彼は恐ろしいほどの速さで、タンスの隙間の暗がりの奥に消えていった。彼の後ろ姿が闇に溶けていくまで、私は茫然と眺めていた。
ママやパパには話していない。妖精のことを人に話したらいけないと本で読んだから。そもそも、彼が妖精なのかはわからなかったけれど。
都市伝説で「ちいさいおじさん」が話題になったのは、それから何年も後のこと。スタジオジブリが『借りぐらしのアリエッティ』を放映したのも、その頃だった。
『借りぐらしのアリエッティ』の原作とされているのは、『床下の小人たち』という児童文学らしい。私は映画を見た後に、その本も読んでみた。
物語はケイトという少女に、メイおばさんが弟から聞いた「借りぐらしの人たち」の話を聞くところから始まる。
その弟の言うところによると、彼は借りぐらしの人たちと親しくなったらしい。そこからは、借りぐらしの少女、アリエッティの日記という形で私たちは物語を聞くことになる。
その古い家で借りぐらしをしていたのは、母のホミリーと父のポッド、そしてアリエッティの三人だけ。親戚は大勢いるらしいけれど、アリエッティは会ったことがなかった。
メイおばさんの弟はその日、その家に少しの間住むことになった。そして、あろうことか、彼はまさに借りに出かけていたポッドの姿を見てしまう。
人間に姿を見られた小人は、引っ越さなくてはならない。それは、親戚が飼われた猫に襲われたときにできた教訓だった。
ポッドはいざという時のために、娘のアリエッティに借りのやり方を教えることにした。こうして、アリエッティは初めて家の外に出ることになる。
しかし、彼女はそこでおばさんの弟に姿を見られ、しかも、お話までしてしまったのだ。
映画と原作では随分と印象が違う、というのが、私がまず抱いた感想だった。もちろん、ところどころ違っているところはあるのだけれど。
原作はメイおばさんが弟から聞いた話、ということになっている。だから、この話が真実なのかどうか、最後まではっきりとされない。
いや、ある意味では、はっきりしているのかも。結末の一文は、そのことを伝えているようにも思えた。
そんな思考に耽っていると、いつも私の頭に浮かんでくるのは、幼い頃に見たあの小人の顔だった。
彼は、子どもの頃にひとりで遊んでいた私が作り出した幻なのか、それとも、本や伝承や都市伝説で語られる本物の小人なのか。
彼がもしも、借りぐらしだったら、そんなにおもしろいことはないのに。私はそう思って、ひとり、にやにやと微笑んだ。
きっと、私の失くしてしまったハンカチも使われているのだろう。そのことには文句を言いたいね。いっそ、ドールハウスでも買ってこようか。
そんな妄想を楽しんでいると、ふと、視界の隅に何かが映った気がした。それは、幼い頃にお気に入りの人形が着ていたドレスにそっくりだった。ああ、娘さんかな? よく似合ってるね。
借りぐらしの小さな隣人
メイおばさんは、ロンドンにあるケイトの父母の家に、二部屋を使って住んでいました。たしか、親類にあたっていたのだと思います。
昼過ぎになると、淡い光が満ちて、そのときには、部屋に、ある種の哀しさといったものが漂うのですが、ケイトはその哀しさが好きでした。
そこで、ちょうどお茶の時間になる頃、よくメイおばさんのところへそっと入っていって、おばさんから、かぎ針の編み方を教わるのでした。
そして、メイおばさんは、かぎ針編みの他にも、いろいろのことを教えてくれました。
「仕事は、どこへおやりだい?」と、ある日、床に置いたクッションの上に、背中を丸めて黙って座っているケイトに、メイおばさんが聞きました。
「いいえ、編み棒をなくしたの。ベッドのすぐ脇の、本棚の一番下の段へ置いといたのよ」
「おやまあ、まさか、このうちにもいるんじゃないだろうね!」
「なにが?」
「借りぐらしの人たちがさ」
ケイトが聞くと、メイおばさんは、そう言って、薄明かりの中で、かすかに笑ったようでした。
そして、見上げているケイトの顔を、じっと見つめていましたが、にっこりして目を離すと、遠くの方を見るような目つきで、曖昧な口調で話し出しました。
「わたしに、弟がいて、大変なからかいやでね。私たちをつかまえて、あることないこと、いろいろ話してくれたものだよ」
メイおばさんは身をかがめると、暖炉の格子の下に零れた灰を、小奇麗にはたいて、そして、ブラシを手にしたまま、また、じっと火を見つめていました。
「あまり丈夫な子ではなくてね。リューマチにかかったものだから、まるまる一学期、学校を休んで、田舎にやられていたんだよ。大おばさんの家へね。そこは古い変わった家でね」
あの子はそういうんだよ。しかも、それどころじゃないのさ。見たばかりじゃなくて、すっかり仲良しになって、なんていうか、暮らしの中へ入っていたらしいんだね。
「まあ、お話しして、ね。思い出してちょうだい。はじめっから!」
「インドへ帰る船の中で、弟は何時間でも話をしたのさ。今頃は、みんな、どうしているだろうとか」
「みんな? みんなって、誰と誰?」
「ホミリーとポッドと、小さなアリエッティさ」
ちょうど、その家の一階の広間に大きな時計が置いてあってね、大事なことは、決して動かしてはいけない、ということだったんだね。
それから見ると、時計の下だけが、少し高くなっているくらいだったっていう話だよ。そしてね、その大時計の下には、羽目板の裾のところに穴が開いていたのさ。
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