その本には、美しい表紙が描かれておりました。淡いタッチで描かれた愛らしい二人の少女。ですが、どうしてでしょうか、どこか不穏な雰囲気も秘められているのです。真っ赤に敷き詰められた彼岸花。その鮮烈な赤が、どうしてだか……。
傷だらけの少女が海岸に倒れている。島に住む少女、游娜が彼女を見つけて助け起こすも、二人の少女の言葉は通じない。『彼岸花の咲く島』は、そうして始まります。
倒れていた少女は、記憶を失っていました。游娜に「宇美」と名付けられた少女は、彼女とともに過ごしながら、島での生活に馴染んでいきます。
その島は、「ノロ」と呼ばれる女性が政治を取り仕切っています。島の歴史は「女語」と呼ばれる言葉によって綴られ、男性には秘匿されているのです。
この作品を読んでまず戸惑ったのは、言葉でした。この作品にはいくつもの言葉が出てきます。游娜が使っている「島の言葉」は意味こそ通じるもののかなり違和感が強く、宇美が元々使っていた「ひのもとことば」は漢字がなくて英語が入り混じっていました。
現代の日本人である私たちの言葉に最も近いのは、歴史を伝えるという「女語」でしょうか。いくつもの言葉を巧みに錯綜させるのは、中国語と日本語を操る李琴峰先生の技術があってこそでしょう。
平穏な島の生活と、不穏な記憶。権力を持った女と、歴史から排された男。平和な現在と、過去の悲劇。表紙で抱いた印象と同じように、この島には、いくつもの相反するものが埋まっています。
「島」と聞くと、何を思い浮かべるでしょうか。豊かな自然? ユートピア? 平和? 時間から解放されたのどかな生活? 温かな島民たち?
私はずっと島で育ち、今は本土にいます。だから、島にはむしろ反感を持っています。閉ざされた土地。不便。時代から取り残された。奇妙な風習。凝り固まった大人たちの思想。
島には島の歴史があり、ルールがあります。本土が島を楽園と称するならば、その逆もあるでしょう。結局、人は自分たちにないものを求めるものです。
相反するものが混在しているこの島は、ある意味では、私たちの生きる人生と地続きなのでしょう。私たちが生きているこの社会もまた、あらゆるものが入り乱れて混沌とし、不穏の影がちらついています。
何が正しくて、何が間違っているか。歴史はその選択の繰り返しでした。誰もがその答えを模索しながら生きています。けれど、作中の、游娜の言葉と宇美の決断は、きっと島からしても、そして私たちからしても、大きなものだったのだと思います。
間違っていたのなら、その時に考える。何が正しくて何が間違っていたかを判断するのは、現代を生きる私たちではなく、歴史を知る後世の人たちです。その答えなんて、現代を生きる誰にもわかりやしない。
だからこそ、私たちにとって大切なことは、間違うことを恐れるのではなく、まずは行動すること。それは、どこに住んでいようとも、どの言葉を使っていようとも、変わらないものなのでしょう。
記憶を失った少女
地面に倒れている少女は、炙られているようでもあり、炎の触手に囲われ大事に守られているようでもあった。
少女は真っ白なワンピースを身に纏い、長い黒髪が砂浜で扇状に広がっている。ワンピースも髪もずぶ濡れで黄色い砂がべったりと吸い付き、眩しい日差しを照り返して輝き、ところどころ青緑の海藻が絡みついている。
少女を包み込んでいるのは赤一面に咲き乱れる彼岸花である。最初に少女の姿を目にしたのは、彼岸花を採りに砂浜にやってきた游娜だった。
鮮やかな彼岸花の群れに倒れている少女に気づいた瞬間、游娜は驚きのあまり麻袋を落とし、反射的にはさみを持ち直して身構えた。しかし少女に目を凝らすと游娜はまた動揺し、ゆっくりとはさみを下した。
恐る恐る近づき、游娜は少女のそばでしゃがみ、彼女を一頻り観察した。少女に見惚れた游娜は何かを考える前にほぼ衝動的に自分の顔を近づけ、少女と唇を重ねた。
唇を離すと、少女は悪夢にうなされるように瞼をきつく閉じ、両手で拳を握りながら、意味を成さない低い唸り声を発した。ややあって、ゆっくり瞼を開けると眩しそうに右手を目の前に翳し、影を作った。游娜の存在に気づいたのはそれからだった。
「ノロ?」と游娜は訊いた。少女は身体を起こして游娜を見つめ、何度か瞬きをした。そして、「ノロ?」と訊き返した。
「ここ、どこ?」昏睡していたとき顔に表れていた寂しげな表情が色褪せ、代わりに少女の顔に浮かんだのは純然たる恐怖だった。「なんでわたしはここにいるの?」
「ここは〈島〉ヤー!」と游娜は答えた。「シマ?」少女は怯える目で游娜を見た。「なんのシマ?」
「〈島〉は〈島〉べー」
「わたし、なんでここにいるの? ……わたしはだれ?」
「リー、海の向こうより来したダー!」
少し会話すると、二人が使っている言葉は似てはいるが微妙に異なっているということに、游娜も少女も気づいた。
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