力強い線で描かれた、老人のスケッチ。それはイラストであるにもかかわらず躍動感が感じられる。作業に没頭するその瞳の力強さが、その本を手に取った私までも射貫くかのよう。
平山郁夫先生という画家がいる。仏教を題材にしている作品が多く、日本の寺社やシルクロードの光景、大仏といったテーマを数多く絵画の中に落とし込んでいる。
一方で、東京芸術大学の名誉教授という教育者としての顔も持ち、アジアの文化財の保護に尽力してきた方でもある。
そんな先生のスケッチがいくつも掲載されているのが、『私のスケッチ技法』という本。私が今まさに読んでいる本である。
「無粋な文章なんぞ不要。とにかく私のスケッチを見たまえ」そんな声が聞こえてきそうなほど、文章による解説はほんの少しで、本の内容の多くは先生のスケッチで埋められている。
驚いたのは、その輪郭の力強さ。そして、ありとあらゆる日常の情景がスケッチの題材として描かれていることだった。
平山先生の作品は、どこか輪郭線がうっすらとしていて、現実であるはずなのにまるで別世界を見せているかのような、そんな印象を受ける。
仏教的な題材と相まって、その雰囲気はどこか神々しいくらいだった。月明かりや夕焼けに照らされた美しい景色は、夢に見たような錯覚すら起こさせる。
けれど、この本に描かれているスケッチは、そんな先生の作品とは、まるで対極にいるかのようなものだった。
穏やかな自然の風景。自分の職務に没頭している人々。瑞々しい草木。そこにあるのは、しっかりと地に足をつけた日常の姿だった。
もちろん、大仏や寺社、他国の遺跡を描いたスケッチもある。けれど、それもあの非現実的な雰囲気はなく、あくまでも作られた像としての大仏、人々の技術が感じられる建築、変わらない風景のひとつとして淡々と描かれたような印象を受ける。
どうしてだろうか。私が疑問に思っていた。けれど、その答えは、本の中に書かれている。その言葉を読んだ時、私はようやく深く納得することができたのだ。
「本制作は、そのテーマについての自分の結論を出す、いわばピリオドの作業」
現実をあるがままに模写する、というのであれば、写真に勝るものはない。しかし、絵画はそうじゃないのだ。上手な絵とは、現実をそのまま映したようなもののことを指すわけじゃない。
絵画はむしろ、現実の光景には見えない「何か」を、その光景の中に描き出すことなのだ。自分の想いや、その光景の中にかつて息づいていた過去の想い、それらを筆に乗せて、形作っていく。それこそが「絵を描く」ということ。
平山先生の作品から感じる、荘厳さや非現実的な神々しさ。それこそがきっと、先生が仏教に対して抱いてきた想いのピリオドなのだろう。
しかも、その夢を見るかのような絵の中には、気の遠くなるほど繰り返されてきたスケッチの痕も、たしかに残されているのである。
シルクロードを横切るラクダの逞しさ。寺社を彩る桜の枝葉。月に照らされた美しい光景の奥に見えている、険しい山肌。
「日常」という現実があるからこそ、その上に自分の想いを重ねることができる。その根幹を成しているのは優れた才能でもないし、美的なセンスでもない。
この上なく泥臭く、それでいて誰の目にも触れることのない、地道なスケッチの繰り返し。それこそが、「平山郁夫」という画家の真髄であるのだと、私はようやく知ったのである。
スケッチは全人格の練磨
スケッチとは、一言でいうならば、画を描こうとする者にとって、もっとも大事な基礎訓練です。画家は日頃のスケッチで常に描写力を磨いておかねば、いざという時に自分の思う表現ができない。
練習は記録に残るものではないが、本番の結果は、練習の質と量の決算です。われわれにとってのスケッチもまったく同じことです。
私たちが物を描きたいと思うのは、対象に何かの珍しさ、美しさを発見し、大なり、小なり感激を覚えるからです。感激なしには、決して活きた画は描けない。
スケッチは、感激を得たら、後は一気に真正面から対象にぶつかり、あるがままを描写するのですが、その一方で、今描きつつあるものと、心の中で対話をし、相手の中にあるものを吸収していきます。
スケッチは画を描く人にとって、必要不可欠な描写力の日常訓練であるだけでなく、知識も技術も感覚も、つまりは全人格の練磨となるものです。
私たちが、本制作をするのは、そのテーマについての自分の結論を出す、いわばピリオドの作業です。スケッチは対象的に、自然の中から、未完成ながら潤いのある素材を受け取る、ひとつひとつの鼓動の聞こえるような無限の喜びです。
これを怠ると、画家はすぐ枯渇してしまいます。画に対する何十倍、何百倍のスケッチをして、感情も技術も自然から教わるのです。
自然こそ無限の包容力を持つ最高の教師です。ためらわず、この教師の門を叩きましょう。
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