大崎梢先生の『晩夏に捧ぐ』という作品が大好きです。それは、あの子が好きな作品だったから。
あの子はいつも、その作品について楽しそうに説明してくれました。私がすっかり聞き飽きても、ずっと。
当時こそ聞き飽きていましたが、いざなくなってしまうと寂しいものです。彼女の声は、もう二度と聞けなくなってしまったのですから。
あの子がいなくなって、私は、ようやく『晩夏に捧ぐ』を読んでみました。あの子は、私によほど読んでもらいたかったみたいですから。
それは、書店員が謎解きをするという『成風堂シリーズ』というものの一冊であるらしいです。
本屋を巡るのが趣味の書店員、杏子さんと、利発だけど不器用な大学生の多絵ちゃん。二人の物語に、私はすっかり魅了されてしまいました。
ああ、今なら思うのです。どうして私は、あの子の勧めてくれた本を、あの子が生きているうちに読まなかったのか、と。
「シリーズの中でも『晩夏に捧ぐ』が一番好き」と、あの子は言っていました。今の私なら、あの子の話につき合ってあげることもできたのに。
杏子さんのもとに、ある時、一通の手紙が届きます。それは、老舗の書店「まるう堂」で働いている友人、美保子さんからのものでした。
その内容は驚きのもの。なんと、まるう堂で幽霊が出たのだそうです。それも何度も。それと合わせて、奇妙な事件が起こっているのだそうでした。
そこで、これまでも何度も難事件を解決してきた書店限定の名探偵、多絵ちゃんに来てほしいとの依頼だったのです。
杏子さんと多絵ちゃんは二人でまるう堂を訪れることにします。そこでは、驚愕の真実が待ち受けていたのでした。
私が今、書店員を勤めているのは、『成風堂シリーズ』とは何の関係もない、とは、言いません。
気にも留めないようにしていましたけれど、きっと、心のどこかでは気になっていたのでしょう。
あの子も将来、書店に勤めたいのだと、生前は言っていました。とうとう、その夢は叶うことはありませんでしたが。
私の行動は、あくまでもエゴなのかもしれません。彼女の夢の続きを、とも言いません。けれど、書店に勤め始めたことを後悔してはいないのです。
彼女ならば、何というでしょうか。私をなじるでしょうか。恨み言でも言うのでしょうか。
いや、快活で明るかったあの子に、そんな言葉は、似合わない。きっと、今の自分がなれないことを悔しがって、けれど、その後に笑って、おめでとうとでもいうのかもしれません。
もしも、幽霊になってあの子が戻ってきてくれたなら、あの子がどんな恨み言を言おうとも、私はきっと、たまらなく嬉しいでしょう。
あの子とは、話したいことがたくさんあるんです。かつて、私のつまらない意地で話せなかったことが、たくさん。
ところで最近、気になっているお客様がいるんです。私は後ろ姿しか見かけていないのですけれど。
いつもミステリの文庫本のところで立ち止まって、本棚を眺めている彼女。ピンク色のポーチを持って、ショートヘアの彼女はどこか、あの子の面影がありました。
私が近づこうとすると、気が付いた時には、その人はお客様の隙間を縫うように、いつの間にかいなくなってしまうのです。
確信は得られません。ただの私の思いこみなのかもしれません。もちろん、そう思うのが普通でしょうね。
けれど、私は、彼女を見かけるといつも、あの子が戻ってきたみたいで嬉しくなるのです。
『晩夏に捧ぐ』のどこが好きなのか。彼の想いについて、どう思うか。あなたに勧められた作品、とても面白かったよ、と、語りたくて仕方がないのです。
「私もだよ」
ふと、そんな声が聞こえました。彼女は今も、私の隣りでお気に入りの本を読んで、楽しげな笑みを浮かべているのです。
幽霊騒ぎの真相
出版社からのダイレクトメールに交じって、杏子宛てに一通の封書が届いた。差出人を見ると「有田美保」とあった。
二年前まで成風堂で働いていた元同僚である、付き合いが続いている友人でもある。しかもつい三日前の夜、長電話したばかりの相手ではないか。
手紙には「前略、杏ちゃん」という書き出しのもと、こうあった。
昨日は電話をありがとう。そして興味深い話を聞かせてくれて、ありがとう。
成風堂にいるバイトの子、多絵ちゃんについては、今までも散々杏ちゃんから聞かされてきました。その多絵ちゃんのお出ましを願う事件がこちらで起きたのです。
今、私の働いている「まるう堂」、杏ちゃんの大好きな老舗の本屋は、大変な事態に追い込まれています。幽霊が、出るの。もちろん店に。
早くまるう堂に来て。なんとかしてよ。この手紙を成風堂宛てに送ったのには、意味があります。
杏ちゃんご自慢のバイトちゃんにも、すぐに読んでほしいから。いい? かっならず、その子にこれを見せるんだよ。でもって一緒にこっちに来て。待っています。
杏子は複雑な気持ちで休憩時間を終えて仕事に戻り、店の閉店後、ロッカー室で多絵を呼び止めた。
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