役に立たない教養が道を拓く『池上彰の教養のススメ』東京工業大学リベラルアーツセンター篇


教養がない、教養がないって言うけどさあ、そもそも教養って何の役に立つって言うのさ。あんな何の役にも立たないのを、学ぶこと自体が無駄なんじゃないの。

 

「教養」とは、歴史や文学、哲学、心理学、芸術、生物学や数学、物理学といったものを指す。学校で習っていたけれど、そもそも将来の役に立つとは思えなかった。

 

そりゃあ、進路によっては役に立つこともあるかもしれないよ。たとえば、学者とかね。もしくは建築家だったら数学が必要だろうし。でも、スーパーマーケットの販売員になったとしたら、どの分野の知識も必要はない。

 

在学中は成績が良かった先輩が、就職して社会に出た途端、上手くいかなくて落ちぶれていく有様を、僕は何度も見てきた。

 

つまり、教養なんてものは社会に出たら何の役にも立たない、というわけ。そんなものよりも、もっと専門的なもの、たとえば販売だったら販売についての、あるいは製造の技術みたいな、専門的な知識や技術を学んだ方がよほど有意義だと思うわけさ。

 

というようなことを、先日、教授に対してぶちまけてみたら、彼はどこか面白がっているような気に入らない笑みを浮かべて、一冊の本を貸してくれた。

 

なんだろうと思って見てみたら、『池上彰の教養のススメ』と書かれている。「教養なんて必要ない」って言った僕の舌の根が乾かないうちにこんな本を貸してくる教授も教授だよね。

 

いいだろう、つまりこれは、教授からの挑戦というわけだ。受けて立ってやろうじゃないか。こんな本程度で、僕の考えは変わらないということを証明してやる。

 

というようなことを思ったのがつい数時間前のことで、気が付いたら読み始めて随分な時間が経過していた。時計を見て愕然とする。時間がそんなに経っているとも思わないくらい、読み耽っていた。

 

認めるのは癪だけれど、その本はとても面白かった。いろんな教養人、知識人たちと池上彰先生の対談をまとめている本だった。

 

そもそも僕は対談みたいな本自体、苦手なのだけれど、その本はとても読みやすかった。解説が得意な池上先生の本領発揮というか、対談とは思えないほどスッと頭に入ってくる。

 

その本は、やはりというか、教養がいかに必要か、というものだった。池上先生はそれを「すぐには役に立たない」と言っている。ほら見ろと思ったのもつかの間、先生は「でも教養は必要だ」ということを言っていた。

 

どういうことだろう。曰く、教養は「与えられた前提を疑う能力」であるという。つまり、問題文があるとするなら、その問題の答えではなく、問題文自体を疑うということになる。

 

そんなの意味ないじゃん、と思ったけれど、そもそも社会には問題文自体が存在しない。決められた枠組みの範疇で考え続けても、既存の答えしか出てこないのだ。

 

ビジネスでは、既存の枠組みを取り払うことで新しい答えが見えてくることがある。つまり、教養とは、その力を養うことになる。そしてそれは、これからの社会で必ず必要になる能力だ、ということらしい。

 

読み終わって、ふうと息を吐いた。なるほど、と思う。どうして池上先生が「教養を学ぶべき」だと言っているのか、その答えがわかったような気がする。

 

うん、ちょっとは勉強してやってもいいかもね。負けたとは思ってないけれども。自分自身の言い訳が、僕の中に空しく響いた。はあ……うん、教養、学び始めてみようかな。ひとまずは、苦手な数学や生物学から。

 

 

教養の重要性

 

リベラルアーツは、日本語では「教養」と訳されます。私はこのセンターで、理系の学生たちに日本や世界の現代史、あるいは現代に生きる上で必要とされる社会の仕組みについての知識などを教えています。

 

本書には、リベラルアーツセンター長で哲学が専門の桑子敏雄先生、文化人類学の上田紀行先生、生物学の本川達雄先生との対話を収めました。

 

なぜ、私が東工大の学生に、そして読者の皆さんに「教養」を学ぶことを、「教養」を身につけることを、強く勧めるのか。

 

それは、教養こそが、学生たちにとって、社会人にとって、あらゆる人にとって、学ぶ上で、仕事をする上で、生きていく上で、「最強の武器」になるからです。

 

かつて、教養が偉かった時代が日本にはありました。それが戦後になり、バブル経済がピークに達した頃、日本は「教養」を蔑ろにし始めます。

 

誰もが大学に行く時代になると重視されるのは「すぐに使える」実学的な教科になりました。教養は、「すぐに役に立たない、どうでもいい学問」という扱いになったのです。

 

21世紀になり、さらに10年が過ぎました。するとどうでしょう。「教養」に今、急速に注目が集まりつつあります。なぜ?

 

それは、教養なき実学、教養なき合理主義、教養なきビジネスが、何も新しいものを生み出さないことに、日本人自身が気付いたからかもしれません。

 

自分の内側の狭い専門分野の知識と経験しかなく、自分の外側に広がる世界を、人間そのものの心理や本性を、知り得なかったからです。いいかえれば、「すぐに役に立つ知識」しか武器として持っていなかったからです。

 

教養を身につけるとは、歴史や文学や哲学や心理学や芸術や生物学や数学や物理学やさまざまな分野の知の体系を学ぶことで、世界を知り、自然を知り、人を知ることです。世界を知り、自然を知り、人を知る。すると、世の理が見えてきます。

 

そうなってはじめて、これまでにない新しい何かを生み出すことが可能となる。なにより、そのひとの人生そのものが豊かになる。学ぶことそれ自体が楽しくなる。

 

教養は、一生かけて身につけ続けて、絶対に損のないものです。しかも、いつからだって学ぶことができる。

 

教養がいかに「使える」ものなのか、教養がいかに「人を知る」ために不可欠なものなのか、教養がいかに「面白くてたまらない」ものなのか。私の仲間の先生たちと一緒に、考えていきましょう。

 

 

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